親子の年齢差

バーナード・リーチ、という人にとても、あこがれます
幼少期、京都で過ごしたことがあり、ラフカディオ・ハーン
ひかれ、20代で来日。柳宗悦高村光太郎との交流
濱田庄司、河井寛治郎との出会いを経て
いま、その足跡は、陶芸の世界や、日本の伝統の美しさを
話すときに、とても印象に残る存在として、いまも語られると
思うのです


そのバーナード・リーチが、山陰、出西窯の人たちに
指導をしたという、話を聞きます
そのときの年齢差は、およそ、親子のようなものと
聞きます
その話を、覚えてるうちに、伊勢神宮遷宮がなぜ、
20年なんだ、という話について、聞いたとき
もしかして、親子ほどの年齢差というのは
技術の伝承、というか、なにかを伝えるというときには
とても、いい年齢差なのでは?と、感じたのです


実は自分には、親と同世代の人に仕えた経験があって
若い、自分には、もっと年齢の近い人の、協力者というか
同じ立場でやる人がほしいと、そのときは、思ったことを
思い出します


はじめての業界、人脈だってない。そういうなかで
ビジネスをはじめていく。そういうことが、自分の
なかでは、うまくいかないいろいろになっていく
そして、それは自分に、なにか足らないところがあると
思う、気持ちより、やはり弱さでしょう、環境だったり
自分以外のことに問題があると、どうしても思ってしまう
そういう、状態がありました


すぐの上司が親の世代だろうと、自分がはじめての業界だろうと
そんなことは、マイナーポイントだったり、いいえ
実際のところ、いまから思えば、プラスに働いていたことも
たくさんあって、ということがあります


そうなんです。親子ほどの年齢差というのは
実は、プラス。ものごとを伝えていくということには
いいことが多い、とも、言えそうです


バーナード・リーチが、とてもいい存在として
浮かび上がるのは、美を愛し、美を生んだ人を育て
日本を愛した、から、と思います


人を育てたり、人といっしょになにかしたり
ということを、思うとき、この人といっしょにやりたいと
思わせる、そういうリーダーがいたと、感じます


人は立場で、ものを考えるし、言葉も発します
だから、1:1、のっぴきならない、状態での
やりとりは、ときに、逃げ場のないものになりやすい
そこに、もうひとり、協力者がはいることで、チャンスや
ヒントがでてくるって、あるものです


会社は、人が作るもの
人は、会社であり、場があって育つもの
双方の関係だと、いえると思います