記憶

高校時代の担任の先生が、卒業間際になって
みんな、うまく時間があったら、私の自宅に
来てください。ごちそうしますよ
とおっしゃってくださいました


まあ、素直といったらいいか、早く言えば
遠慮がないと言われても仕方がないのですが
行きました。先生のご自宅。そうしたら、びっくり
するような、ごちそうの連続です


ごちそうは、先生の奥様が作ってくださったのですね
中華風、洋風、そして和風。言ってみればフルコースです
思い出してみるに、鶏肉のから揚げの、甘辛ソースだったり
豚の角煮だったり、ローストビーフなんてものも
確か出てきたかな
和の、お椀、炊き合わせ、そして茶碗蒸し
そんなふうに、どんどんでてきたと思います


こうして、思い出すと、先生の奥様は、大変な料理好き
そして、もてなすのが、好きだったのだと、わかるのです


わかる、というのは、自分も人をもてなすのが好きで
やってみて、その大変さと、おそらくはやりきったときの
充実感というか、楽しさがわかるのです


わかる、ということ。「身をもってやる」ことで
本当にその意味、体験したことの、すごさがわかる
ということがあるんだと、ぐぐっと、このところ
考えます


「君がいないと小説が書けない」 白石一文


この小説に、立原正秋が好きな、編集者の先輩が
ごちそうしてくれた、トーストの味を、四半世紀たった
今、味わってる。味わいなおしてるといったらいいのか
といった、エピソードがでてきます


今、自分は、必要なこと、またいろんなタイミングで
「パン」を食べるということに、意識がいっている
そのときに、うまいパンって??と、頭のなかで
反芻したときに、編集者の先輩が、だしてくれた
トーストが、でてきたのだ・・・


いいこと、おいしいこと、そして、「人との出会い」
「やりとり」。
こうしたことは、そのとき、わからなくて、後になって
身に染みる、その体験が、素晴らしさが、より身近に
わかる、身体にはいってくる、そういうことが
あるようです


そして、このことは、同じシーン、エピソードにしても
その、思い出してる自分の状態、考え方、感覚によって
変わってくる。わかる、ということが深まる
そういうことがあるのだと、感じます


そうなのです。だから、年配になって、過去の記憶を
とりだしてみるとき、いろんなスポットをあてて
それをみてる。また人に話したくなるということが
あるのだと、気づきます
それは、素晴らしい行為といっていいのでは
ないでしょうか?


「同じ話を繰り返す」、このこと、記憶について
なにかしら、弱くなったとか、マイナスなことがあって
同じ話がでてくる、確かにそれもあるかもしれないですが
プラスな意味で、自分が出会った大切、かつ、素晴らしいことを
深く味わい直すという意味で、やるのは、本当に
素晴らしいことなのでは、と、ポジティブな考えが
頭をもたげます


去年。NHKファミリーヒストリーという番組でした
誰のファミリーかは忘れたのですが、祖母か曾祖母に
あたる人が、クラス会のときに、「人間にとって
素晴らしいことは、長生きすることです」と話してるのを
聞いて、すがすがしく、またそう言えたらいいなと
あこがれに近いものを、感じたのですが、その方はきっと
記憶を呼び起こし、いろんなスポットをあてて、深める
ということを、きっとやってるのだと、想像するのです