高いコミュニケーション

昨日、失敗談を話す、ということ
それは、一定の高いレベルでのコミュニケーションだ
という話を書きました


高い、コミュニケーション
実際、話し合いをしていて、「はっと気づく」
ということがある、って、まず、入り口のように思います


学生のときでした、あるグループわけ
どういうふうにしたらいいか、話していて、高々、グループ
分けの人数の話ですが、いろんなケースを想定し
メリット、デメリット出し合いました


話し合いの基本として、やっぱり「準備」が大切です
ある主張をする、その根拠は、これこれ、と最低限言える
くらいは、調べたりしたいものですs
調べるのも、今はネットで検索という、便利なものがありますね
だけど、ネットでの検索は陥りやすい、ミスも伴うことも
知って、やりたいですね
ネットででてきたから、だけだと、やっぱり弱い
実際、現地で、話を聞くということ、その重要度によっては
欠かせないし、専門書にあたるということもしたいことです


調べて、話してみる
お互い、違う角度からやってみて、ぶつけてみる
こういうことは、ある決定を下すのにはとても大事です


観点を変えてみましょう
実際のところ、話し合うということ、それ自体
学びの要素、であり、刺激をもらえる要素がふんだんにある
といっていいのではないでしょうか?


あることを、したい、という気持ちがある同志が
いっしょに会って、話し合いをする、これは一番といっていい
学びの機会といっていいと、感じることがあります


アート、だったり、音楽、もちろん、勉強してるある分野
国語、算数、理科、社会・・・
スポーツのこと(実践、試合も広い意味ではそう)


話し合いをして、おおいに学ぶことがある
そう思います


民藝運動というのを、昭和のはじめくらいから、提唱した
柳宗悦河井寛次郎、ら、がいて、私は本で読んで
あこがれるのです
河井はその手記で、柳との出会いを、書きます
李朝白磁が柳の部屋においてあって、その白磁
みて、河井は心が溶けたと、いっています
こんな素晴らしいものがわかるやつ、そいつは
素晴らしいにちがいない・・・・


ある触媒を通じて、お互いを認め合い、それから一生の絆を
作っていく・・・


そんなレベルにはならないのですが
私も、佐藤忠良という、アーティストを尊敬しあうもの
ということで、ある人のことを、受け入れるという経験が
あります


話し合い、ときには、触媒があったほうがいいかもしれませんね