木桶の話

土井善晴さん。この方の話、とてもいいと感じています
自分も行ったことのある、京都五条の、河井寛次郎記念館
ここを、すごくいい空間だとほめていて、特にああ、
この人の感覚は自分に近いな、いいなと思いました


その土井さんが、「木桶」について、語っているのをみて
木桶、ほとんど、作る職人が日本にいなくなりつつある
と、聞いて、ほんとに大変なことなのでは?と危惧しました


そんな話を、仲間とのお酒飲みながらの「話題」として
提供したら、とっても仲のいい人から、はたして木桶って
ほんとに、酒造り、味噌づくり(そのほかにもあるかも)
にどうしても、必要なの?みたいなつっこみがあって
さて、どうでしょうとなったのです


その仲良しは、お酒飲むし、主に「酒蔵」のことを言ったのだと
想像します(味噌づくりのあれこれは、範疇にないでしょう)
その酒蔵。いまは、「ホーロー?」なり「木」以外で貯蔵用の
タンク作ってるところが多いんだよ、と、続きます


そして、昨日、六角精児の「飲み鉄」の番組みていて、いい感じの
酒蔵が紹介されていて、その酒蔵は、少なくともでてきた
作ってるところのタンクは「木」ではないんですね


これだけみたからって、木桶はやっぱりもう不要とか言う
つもりはないです。おそらくは、木桶が育んできたものがあって
今の酒造りはあるのは、確かなんだと思うのね
だけど、現在酒造りしてるところで、貯蔵のしかたを、必ず
木を使ってるというのは、むしろ少ないのではとも、想像します


つまり、確かめていくのには、自分の足と、自分の舌で確認
していくしか、おそらく納得する、なにかというのはないのだと
感じます


父親のふるさと、茨城県結城にある、酒蔵にいって、木桶の存在が
その酒蔵の、雰囲気、いいえ「品格」といったことを、表現してるなと
感じたことがあります


もしかしたら、木桶といった、ずっと使ってる道具は、その道具
としての役割、から、離れて、人の心に訴えるものがあるといっていい
かもしれません


飲み会での、話題としては、ずいぶん、難しいこといってるじゃんと
思った人、多いかもしれないですが、私としては、難しいこと
言ってる、という感覚はあんまりありません。日本が好きだし
日本のいいところをもっと知りたいと思っています。土井善晴さんの
ような、料理家は、おそらく「食」からそうしたことを、支えてると
言っていいと感じます。だから、もっと「食」を知りたい、「日本」を
知りたいという気持ちのある、自分としては、土井さんの発言は注目する
そういうことなんですね


そして、つっこみをいれてくれた、仲良しも面白い
おそらく私が言ってること、一部分は自分でもそうだと思いながら
そうとも言えない、これこれはどうと、まぜっかえしてる
だから、話が一定の所、深くなります


美味しんぼ」のひとつのシーンで、今の日本酒の水準はとても高い
たとえば、今のお酒のおいしさ、江戸時代の権力者、徳川家康だって
飲んだことないのだ、といった、話がでていました
「温度管理」「データによる、いろんな状態管理」といったことは
「今」だからできることだということらしいです


うーん、それもそう、と、いいながら微妙な、データにできない
ところって、やっぱり残るんですよねと、ここでもまた、つっこみたく
なるんですよね