柴田雅章

片口、どっしりして、大きい
そう、もともとというか、片手にもって
たとえば、お酒をいれるとしたら、大きすぎる
そうなのだけど、料理を盛ったりしたくなる
どっしり感。自分ならなにを盛ろうか、そういう
想像をさせてくれる、器


うつわが好きになって、どんな楽しみ方をするのか?
というと、↑に書いたように、うつわから
どんな料理を盛ろうかなと、想像することが
とても、楽しく思います


それから、実際、うつわを自分の食卓に並べてみて
使ってみての、こと、でしょう
うつわから、いいものを自分がもらえる
そして、使うことで、うつわが、生きる、育つと
言います


柴田雅章、作陶展に行きました
実は、3年前、丹波篠山に柴田氏を訪ね
お話を聞いたことがありました。残念ながら
その際は、ご自宅にあった、いくつかの作品を
観ただけで、まとまった数の作品を見る機会が
なかったのですね


今回、個展にお邪魔して、願いがかないました


飴釉、灰釉、そして、焼き締め
手になじむ、料理に使いたくなる、うつわたち
どれも、とても見ていて、いいな、が多いのですが
いつも、気になる、片口だったり、ジャグ、に
目が行きました


↑に書いた、片口など、なんといったらいいか
どうぞ、いろいろ使ってみてほしいな、というような
つまり、自由さというか、開いてる感覚が
あります


ご本人とお話しをしました
いくつかの話から、私たちがたまたま、去年の夏
お邪魔した、富山県、福光の里の話になりました
福光は、このブログでもふれましたが、言ってみれば
民藝の聖地のひとつといってもいいかもしれません


そして、民藝の心にふれたことが、柴田さんの
うつわ作りにはいるきっかけだったこと、そのきっかけに
なった本は、鶴見神社の親族(御自身もそうなりますが)の
方が、考古学、民俗学に造詣が深いかたがいて、その蔵書
からだったこと、を伺い、興味深く、またその著作は
柳宗悦であり、河井寛治郎だと知って、うれしくも
なりました


柳、河井の名前を聞いて、すぐ脳裏によみがえるのは
河井の著書であり、お嬢様の河合須也子さんの文章に
でてくる、河井がはじめて、柳の自宅を訪れ、李朝
白磁をみて、「この良さがわかる、人間はすごいやつだ
いいやつにちがいない」と、「心が溶けた」という
エピソードです


このエピソードが好きで、今回作陶展をみてから
あれこれ、かみさんと話してるときにも、その話を披露したら
「そう、心が溶けたのよ」とかみさんも応じて、なにかと
いうと、柴田氏と話していて、その人柄、醸し出す雰囲気に
すっかり、言ってみれば、心が溶けたというのですね


素晴らしい作品にふれることができてとても、よかったこと
きっと、それと同じくらい、柴田さんのあたたかさに
ふれて、黄金に輝く時間をもてた、そんな
ふうに思えたのです