アートの楽しみ

美術好きな、うちの奥さんは、とてもよく美術館に行きます
最初は、「あなたが好きなら、つきあうよ」くらいに
思っていたのです
だけど、うちの奥さんの美術好きは、ただの好きというより
本当に好きで、時間と体力が許せば、本当にずっとみていたい
という感じです


だんだん、それだけ、真剣に好きになれる美術、アートなるものに
ついて、自分が興味が持ててないことが、どうも、残念に思えて
自分なりに、楽しみたいと思うようになりました


ただ、美術館で展示されるような絵は、自分の思い込みとして
「すごい絵」「すばらしさをもってる(もててないわけがない)絵」
として、認識して、それを素晴らしいと思えないのは、自分の
ほうが、勉強不足というか、無知だからだと、苦しく思えたり
したのですね


ですが、あるときから、人と会って、その人の楽しさ、よさを
感じるときと、感じないときがあるように、絵にもいかに
それなりの数の人が、認めていようと、自分の感性に響かない絵
というのはあるのだと、認識しました。そうしたら、とたんに
楽になり、自分の気持ちに響く絵を、楽しめばいいのだと
思えたのです


学芸員の、展示のしかたが、こちらの感性を呼び起こして
くれるということもあります
昨年、ポーラ美術館で、マティスとモネを並べて、「もてなしたい」
という気持ちが共通だったという、視点で展覧会を開いていたの
ですが、いわば、モネの絵、モネの持ってる、エネルギーが
触媒となり、マティスの世界が見えてきたと思っています


マティスの、明るい部屋には、マティスのお気に入りの調度品があり
部屋には、南の国ならではの、明るい陽射しが届く
そこにいる、女性は、光をあびて、ほんとうに輝いてるように
見える


セーヌ川だったり、ジベルニーの庭の、朝の光だったり、昼間
夕方と、その光をとらえようとしつづけた、モネの世界は
もてなしたいという気持ちとつながっていると思います


モネや、マティスという、理屈をいわなくても、わかりやすい
コンセプトの絵が、あって、それを楽しむのは、とても
大きな楽しみだと、思えるようになりました


美術館にいって、ついつい、その解説にも、ずいぶん見方を
こうなのかと、方向付けされたりすることも多いのですが
そうでなく、あくまでも自分の眼で自分の感じ方で
その対象を楽しみたい・・・


やっぱり、それには、繰り返し見るということになるかとも
思います。
先日山下大五郎の、図録を見返していて、山下大五郎は
油絵という、ツールを日本の風景に応用して、成功してる
という解説を読んで、洋画を描いた、日本人画家はそうしたことを
乗り越えること、それが大変なんだなと、改めて思いました


好きになった場所、好きになったなにかしらを、絵で表現する
ということを、楽しみたい。アートの世界の楽しみは
まだまだ、広がるようです