洲之内コレクション

昨日、はじめて会う人(とはいっても、オンラインで)
との打ち合わせがあって、仕事の話ばかりは
味気ないなと思って、ちょっとだけ
アイスブレイクのつもりで、自分は絵を見に行くのが
好きで、といって、先日宮城県美術館でカメラに収めた
洲之内コレクションの、「ポアソニエール」を見せました


こうした、ちょっとした、印象に残ることというのが
大事と、思ったりします
だけど、作家の海老原喜之助、知らない(これは想定内)
じゃあといって、藤田嗣治はどう?といったら
これも知らない。


ええ、美術好きでなければ、藤田嗣治、もでてこないかな
とも、あとで気が付きます


自分自身、絵を見に行ったりが習慣になっていないころ
固有名詞をだして、ほら、あの絵がさ、なんていう、例を
だして話をされると、その固有名詞について、まずは知らない
ということがあって、楽しめない自分がいたことを、
思い出します


洲之内徹。銀座で画廊をやり「気まぐれ美術館」という連載を
雑誌にしていた、人で、その文章の読みやすさ、毒とユーモアが
あって、飽きさせない、言ってみれば、「語り口」そういう
ものにひかれて、読みました
本でも読めば、人、つまりはいつもいっしょに行くのは
奥さんですが、なんか、話くらいできるかなくらいの
つもりで、読んだことを、思い出します


洲之内は、ある文章で、「絵を、自分の家に持って帰りたい」
これほど、絵に対する、強い、ほめ方があるだろうかと
書いています
つまり、自分がどうしても持って帰りたくなるような絵を
楽しむこと、それが美術鑑賞でいいじゃないかと
教えてくれました


いま、公立の美術館が洲之内コレクションとして、公開する
くらい、そのコレクションの質は高く、洲之内が紹介したから
世に出たといっていい、作家も複数いるということを
思うと、その審美眼の確かさは、照明されてるといっていい
かなと思います


ですが、洲之内の絵の楽しみ方は、気まぐれ美術館を読むと
それなりに、複数の視点、が、ありその背景にやっぱり
いくつかの思い、生きた証といったことがかいまみれる
ということがありそうです


それはそれとして、好きな絵を、いいなとみるのが
絵をみる、基本の態度だと、言うのですね


洲之内の、文章のたくみさが、人をいざなうということは
きっとあります。無名に近い(近かった)長谷川潾二郎は
洲之内が、自分を雑誌に書いてるのを、そんなことを
書かなくても、自分の絵は評価が高いのだと、反論めいた
ことを、書いているようです。ですがその一方で洲之内の
才能も認めていた、ということもあり、二人の微妙な
立つ位置みないな、面白さを、宮城県美術館の展示の
解説から、読みました


絵を見ること
絵を感じること
作家の、息遣いのようなものを、知ること


どれもあっていい、楽しみだと、思うのです