即レス

1,2年前だったと思います
即レスしないくらいで、こわれるものを、友情とは言わない
という、標語といったらいいでしょうか?駅でみかけました
それを、みて、そうだと思うと、内心思っていたり
したのです


ところが、「チャット」という、ツールを使うと
即レスが、基本だなぁと、思ったりもするのですね


この即レスというやつ、慣れてないと、難しいのですが
お互い即レスすると、やっと、というか、チャットの
チャットらしさ、というのが、わかる感じがしました


自分が十代なんていうと、ケイタイもなく、固定電話でした
電話で、やりとりが基本みたいな。
ケイタイができ、いまはLINEでやりとり、つまりは
チャットが基本のようです


即レス、チャットはいいところもありますが
やっぱり、困るというか、あれれって、私の世代でいえば
人間の振舞いとしてどうなのかなんて、思いたくなることが
あります
そのあたりに行くと、手紙はいいなと思うのです
たとえば、返事を書くのに、2,3日は考えてから書く
なんてことが、手紙なら、普通でしょう


その場でスピーディに即レスする
それはその楽しみというか、使い方があるのを
認めますが、じっくり考えたものを伝えるってことの
大事さ、そして、そういう習慣が自分にあるということの
どっしり感といったらいいでしょうか、知ってほしいと
思います


人と、絆を作るってことが、どんなに大事か
生きていって、例えば、いっしょに仕事をしたりすれば
特に感じること、ですね


相手が、どのように、考えるか想像する
そうした、想像力を鍛えてほしいなと思います
そうした、いい想像力ということがあり
まさに、相手の「痛み」を自分のものとして
感じることができる、そういう人間に育ってほしいと
思います


たいへん、仲がいい人と、人間生きていて、他人の
ためになにかできること、こういうことが、普通に
習慣になってること、大事じゃないかって話をして
おおいにうなづいたことを、覚えています


他人のために、なにかする
だけど、どうかするとそれはひとりよがりになって
しまうことが、多いということも、事実でしょう
相手を思ってなにかしても、「余計なお世話」と
なってしまう


そういう不器用なことも、ずいぶん自分もしたのですが
それでも、やっぱり想像力を鍛えて、相手のことを
想像できるようになるのが、大事、と、思います


生きていれば、そういう場面がでてくるものです
そして、足りないながらも想像力をもって
本当に相手が助かるところに、自分が役割を果たす
ことで、絆を感じるものです
そう、そういう生き方をぜひ、してください