東山魁夷から川端康成

東山魁夷が書いた、随筆を読んで
あるとき、川端康成から、京都の美しさが失われていってしまう
いまのうちに、あなたの筆で、京都の美しいところを、残してほしい
ということを、言われたとのこと
このことが、京都を描いた、連作につながったという
話がありました


東山魁夷の描いた京都はたくさん、あるようです
すぐ、頭に浮かぶのは、「年暮る」:“としくる”ですね
京都の、見てる場所としては、おそらく京都タワーの上か
と思われるような、鴨川の西側から、東を見た構図です
建仁寺があり、その向こうに東山がひろがる
その町家の並ぶ様の美しいこと
言葉では、なかなか表現できません


この絵を、山種美術館でみてから、冒頭に書いた、文章に
行きあたりました。このあたりで、川端康成って、どんな人
なんだろうと、興味を持っていたのです


先週末に、東京ステーションギャラリーに、川端康成コレクションを
見てきました
とても、美しいものにふれることができました


ここで、川端コレクションについて、あれこれは書きませんが
川端が、アートにとても興味を持っていたのは、確かでしょうね


東山魁夷は、いくつもの絵で、ぜひ何度も見たいと思える
画家として、大変好きな作家です
絵自体もそうですが、姿勢が好きです
唐招提寺の御影堂に収められた襖絵を描くのに
全国を、スケッチしてまわったということを、聞いて
そのころ、まだアートにそんなに、興味をもててない、自分だったのですが
やはり、すごいなと思いました


つい最近、やはり山種美術館で、奥村土牛さんの「醍醐」をみたときに
この絵を完成させるのに、10年を費やしてるということを知り
感動しました。そして、そういう、生き方、姿勢というのは
もう絵を極めようとしてる人としては、おそらく、絵を描くことが
人生そのものになってるのだと、(やっと)私にも感じることが
できたようです


そうした、絵を描くことを人生にしてる人を、動かして
京都の絵を描く気持ちにさせた、川端の言葉にまた、興味を
惹かれます
また、9歳の差といいますが、出会ったとき、川端は、56歳
計算すると、東山は47歳でしょうか。川端が亡くなるまで
相当親しく、家族ぐるみでおつきあいをしたということも
惹かれます


このブログに、川端コレクションのことを、書いてみたいと
思いながら、うまく書けそうもないと思う気持ちも
ありました


あだやおろそかに、ふれたくない。そんな気持ちにも
させてくれた、川端と東山の、いい関係のようです