その研修の目的とは

昨年の新入社員研修であり、新入社員に関わる、当社の
いろんなことが、そのときの新入社員を歓迎してる
ということに、つながってるようで、いいなと
思いました


人の、つながりが、また、新たな人が加わるということで
強化されていくような、そんな感覚です


研修をやるとき、その目的を考えるのが大事です
目的が、ぼんやりした、企画になると
言ってみれば、自分のセンスにあわない服を
贈られて、着なくてはならないような、そんな感覚に
なるのではないでしょうか?


そうなのですが、目的をぴたりをあわせるのは
なかなか、骨の折れることだと感じます


「知識をつける」ということに、ずいぶん偏ってしまう
ということが、ひとつありそうです
知識を持ってる人から、少ない人へ、そうした研修
勉強をする。
知るということが、楽しいということにつながることも
ありますから、ひとつのやり方には違いありません


しかしながら、知識をつけるということを、超えたこと
今後も知識をつけていくための、自分のなかにアンテナをもつ
ということが、本来めざすこと、だったりはしないですかね


人間は知的な存在ですね
自ら考えるから、その存在意義があるといっていいのでは
ないでしょうか
そうであるなら、なにかを感じて、自分でなにかをしていくことを
習慣化できるような、そんな「気づき」をめざすのが
本来ではないでしょうか?


一昨年でた、セミナーで「人間が人間らしくあるために」
前頭葉を鍛えることです、という説明を聞きました。
そのときは、書道というサンプルがあったのですが
拡大解釈をすれば、文化にふれるということが
前頭葉を鍛えるということに、なりそうです


前頭葉を鍛えるために、文化にふれる
素晴らしいことだと、感じています


こうして、考えてみると、目的を考えるときのヒントに
それは前頭葉を鍛えるなにかに、つながるか、ということを
考えてもいいのかもしれません


ごく最近みた、テレビ番組があります。それはドキュメントで
同時通訳をしてる人が、主人公でした。その人はいいます
通訳は格闘技ですと。なんて厳しい、なんて高い
志だと思います


めざすところが高いところに、あること
この前提も、前頭葉を鍛えるには、必要といっていいかも
しれないと、いま書いていて思いました


何度も思うこと。人間はばかではないので
続けていくには、自分の成長が感じられることが
必要なんです
そして、どんなことでも、はじめるのに、遅すぎるということは
ないと、信じます