社員研修に思う

企画する側ばかり、もりあがるイベント
それは、まるで、自分と感覚がちがう人が買った服を
着なくてはならない、シチュエーションになって
それが自分に全然似合わないと、感じてる、そんなとき


そういう、比喩で言ってみた


ある人が、日本文化について、レクチャーすることになって
忙しいなか準備をし、手作りの教材など、注力して
やってとても、満足したという話になりました。その人は
次の企画も考えようかなという話をしました


でも・・・
だいじょうぶかな?
一番上で書いたように、それは自分、レクチャーする側の自分は
とても満足だったかもしれないけど、レクチャーを受ける側の
人にとって?という視点を意識していますか


研修、勉強会など、何度か「企画する側」で経験していて
どういうことが、起こりがちか、というと、その研修の目的を
どうとらえるのか?ということがなかなか、難しいということですね


知識をもつということは、楽しいことでもあるので
特に興味がわいた、なにかしらについて、勉強できるのは
楽しいということが、言えます
これは真実なのですが、一定のところ興味もあって、その勉強することが
楽しいと感じてる人が、なにかをやる。会社だからそこに所属する
以上は、強制的に参加することになる
そうして、やってみて、企画する側が期待したほど
盛り上がらない


これは極めて、よくあることなんだと思うのです
まず、興味をもててる人をのせていくのはいいのです
興味をそんなにもててない人はどうしよう?
放っておきますか?そういうわけにも、いかないですよね


こういう話になったとき、なにかを好きになる感性を磨いて
おくということって、大事だなと感じます


人間が人間らしくいるためには、前頭葉を鍛えること
その前頭葉を鍛えるのには、文化にふれることだと聞きました
このことを、つきつめていくと、なにかを好きになるという感性を
磨くということになるのではないか、と感じるのです


ある会社に所属しました。その会社は、コンピュータシステムのことを
ずっとやってる会社です。それなら、所属した自分も
コンピュータシステムについて、興味を持つということが
求められます
「どこまで」やりましょうか?
そのレベルについて、案内していくということが大事でしょうね


かつて、企業に勤める、その姿勢は「滅私奉公」などという
ちょっと、ドラスティックな言い方がありました
これはなんか、あまりに強制的という感じでいやですね
ただし、会社がいろんなことを、していくときに
会社がめざす方向のことに、「興味がもてない」状態が
続いてるとすると、それは存在意義が、問われてくるというのは
自然なのかもしれません。


強制的となると、とても、いやらしい
だけど、自然な行為というか、そうなるのを、どこまでも待つ
というのは、競争してる、企業はできないのかなとも、思います