アートの話

仲間と、少しアートの話をしました
絵が好きな、ひとりが、ピカソが好き、
セザンヌが好きという、ことをだしました
あ、ここで、話したというのは、実際はLineのチャットです


チャットのいいところは、いつでもかけて、気軽に
読めるということかなと思います。だけど、お互い見えるのは
デジタルが表示した(いま、このブログだってそうですが)文字
だけですね


だから、その発した本人の様子などは、わからないのですね
一定のところ、文脈とか、Lineなら絵文字があって、ちょっとだけ
それを補うといことは、あるにせよ、リアルで話してるときの
ようには、いきません。


私が、実際のところ、セザンヌの良さって、ピンとこないと
書き込みました。想像するに、くろうと受けするという
セザンヌさんの、絵、その同時代のアーティストがセザンヌ
すごいといったような、感じ方で、とらえてる人って
私のあくまでも感覚では、一定のところアートが好きと自分で
自覚してる人(これは私自身を含め)のなかで、おそらくは、20%
以下なんじゃないかって、気がします


もちろん、ちょっとだけ、解説を読んだりして、セザンヌ
すごいらしいというのは、知ってるのですが、腹落ちしない
そういうことも含めてですね


アートを、繰り返しみるようになって、アートをもっと
楽しみたくなったというのが、いろいろ、アートへアプローチした
最初のころです。私の場合は、結婚相手が、アートが好き
絵もちょっとかきますが、見るということがとても好きで
休日は、自然に美術館に行くということが、増えておりました
そういう中、相手はこんなに、アートを楽しめているのに、自分は
楽しめないというのが、もったいない、感覚でした


そんななか、洲之内徹の、「気まぐれ美術館」に出会います
本屋で、あ、この本なら、アートの本(実際は、アートそのものを
解説してるところは、そんなに多くなく、アート周辺のエッセイと
言っていい)でも読めるなと思いました


何度目かの読み返しの中で、洲之内が、絵を楽しむというのは
自分が好きだなという絵だけ、楽しめばいいのだといった趣旨の
ことを言っていて、そのことを、私の奥さんに言ったら
そんなことは、あたりまえ、それでいいといった、肯定の話に
なったのです


人がいろいろな性格、人格があるように、絵だっていろいろ
好きになるのもあれば、そうなれないものもある・・・


上に書いた、セザンヌは、まだ、好きでも嫌いでもないのです
そうした、範疇にも入っていない・・・その世界にうまく触れられない
ということかな・・・


印象派以降の、西洋のものだったら、ルノアール、モネ、マティス
気になります。すぐ上の文章の言い方を、するとすれば、入り口には
立てているつもりでいるのです


好きだなと思える、アートに出会えるのは、やっぱり、いいな
この人と何度も会いたいなと、友人のような、そんな気持ちが
してきます
おそらく、自分はこれからずっと、アートを楽しむということが
生きてく中の一つの楽しみとして、つながっていけると思っています