絵を楽しむということ

今年、パリに旅行に行って、素晴らしい美術館で
絵をみて、楽しむことができました


この気持ちを共有したくて、旅行のあと親しくしてる
人に、いかにパリでのアートをみたことがよかったか
といったこと、話したりしてみて、感じたことが
あります
あたりまえ、といえばそうなのですが、アートに
興味がない、人に、なんとか伝えようとしても
そうそうは伝わらないということですね


これ、実際、20年まえの自分を思い出すと、ほとんど
まだまだアートに気持ちが向かなかった自分がいて
それはそれで、想像できるのです


洲之内徹という、エッセイストといっていいか
銀座で画廊を経営していた、方(1970年代まで)がいます。
その人の、書いた本がいまでも人気があり
また、コレクションもあり、そのコレクションも
人気だと聞きます


私はアートが好きなかみさんと結婚して、かみさんが
アートをみたりして楽しむのをみて、なんらか接点が
作りたくて、絵をみる楽しみ方の指南書といっていい
形で、この洲之内透の「気まぐれ美術館」を
読みました


読み返してみると、文章がうまいことに、改めて
感心するのです。対象が「絵」だったり、その絵をみた
印象、ある人が絵からインスピレーションを得たとか
絵にまつわる、エピソードが、とても興味をひかれる
また、スパイスですね。ユーモアと毒があるのですね
だから、刺激されます。ついもっと知りたくなる
引き込まれます


こんな文章、きっと会えたとしたら「話」にしても
こうした、面白さがあったのだろうと思って、そういうことも
いまの自分にまねできるわけはないのですが
アートに興味を持てた、自分としては、なんらか
自分が特に親しい人だったら、ヒントをだせたらな
つまり、その相手がアートに興味をもてるような
なんらかをだせたらいいな、と、思ったりします


気まぐれ美術館のなかで、洲之内は、絵に対する
賞賛のしかたとして、「自分の手元においておきたい」
と思うのが、最高のものだといいます
拡大解釈をすれば、そこまで自分がいいと思えばいいので
あって、人の評価は関係ないのだということもあるのでしょう


ところが、人間、やっぱり世間として、人気のあるものは
気になるもの。そうなんですよね。いかに他人がどう言おうが
関係ないんですけど、気になっちゃう。それが
やっぱり、この世に生きている、自分たちのやることなんだなと
思ったりします


そんなことを、思い出しながら、絵を楽しむって
いいな、そんな時間がもてる自分が、うれしいのです