影響をもらう、受け取る

あることに、継続して関心を持ち続けるということ


アートに関して、なかなか、継続して関心を
もてなかったころ、かみさんが、アートの話を誰かと
楽しそうにしていると、とってもうらやましく
早く言えば、劣等感といったらいいか、感じたものでした


そのかみさんの影響があって、美術館にいって、前より
楽しめるようになった、いまは、前感じていた劣等感に
近いものはもうないですね。それはうれしいことです


先日、やはりアートも好きな、引出の多い友人と
話していて、自分もアートに関心が自立するように
なって、このブログでも書いていますが、2016から
2017は、何度目かの、東山魁夷のマイブームが
来ていますという話。信州の東山魁夷館に先日寄って
魁夷さんが、山を描くきっかけとなった、学生自体の
信州での、キャンプ旅行、そのときの自筆の日記を
公開されていて、興味深く見てきました、という話を
していました


人から影響をもらって、あることに、関心をもつように
なること、これは、とても素晴らしいことです


うつわを、見たり買ったりということが、だんだん増えてきて
5年ほどまえに、はじめて会った、鳥取県岩井窯の、山本さん
うつわ、は使ってこそ、そのよさが自分にはいる
自分は、人間国宝の人のうつわも、どんどん使いますよ
という話をちょうだいしました


確かに、使うと、その良さが、自分にはいる、とまではまだ
感覚として、言い切るには、ちょっと躊躇がありますが
見てるより、さわる、さわるより、使うほうが、その良さを
感じるのは、確かのようです


使っていて、いいなと感じるうつわが、よりいいのだということも
あります
料理を盛る。自分で作ったものを、いいうつわに、いい感じに盛る
そういう楽しさというのを、感じられるようになって
自分の見方、自分の見る、感じる基準といったものに
近いものが、見えてきた気がするのです


「拡大解釈」なのですが、うつわに対してそうなら
絵にしても、彫刻にしても、そうなのです
自分は、こういうこと、こういう感覚に、好きだなと
思える、なにかが、自分にあるということを、感じることが
素敵なのです


備前の金重さんは言います
ちがいを、感じる、そのことは大事ですよ


安土桃山時代の花器を、みせてもらって、その素晴らしさを
そのまま、受け取れない、受け取れてないのだろうと想像してる
自分をまえに、たとえば、明日、別のうつわをみたとして
このうつわと、ちがうな、と感じるということ
そういうことの、積み重ねですよ、ということ、らしいのです


作家の、つぶやき
その言葉にも、気持ちが洗われる、そんなふうに、感じた
ひとときでした