東山魁夷のアングル

美しいものを、追い求めた東山魁夷
見たもののなかで、美しい一部分を切り取る
そういうことの、達人だということに、気が付きます


東山魁夷と旅するドイツ・オーストリア」 松本猛


のなかで、以下の説明がある


以下引用


望遠レンズというのは風景を圧縮して見せる。マラソン
中継だどをテレビで見ていると、トップのランナーのすぐ後ろに
後続のランナーがいるように、見えることがある。しかし
これは、望遠レンズのいたずらである。別のカメラでとらえた
画像を見ると、その距離が以外と離れていることがわかる。
望遠レンズが距離感を縮めるということは、立体的な世界を
圧縮して平面的な世界へ近づけることだ。つまり、装飾性が
強調される。


東山魁夷は、おそらくカメラを手に、望遠レンズでこの風景を
切り取った・・・


引用終わり


「京洛四季」のなかの、「花明り」だったり
「年暮る」だったり、ほとんどの絵が
この風景を切り取るという手法を用いてるのがわかる


こうして、一般人の目では、とらえきえない、「美」の
すくいとる、作業を、画家がしてみせて、そうして
いわば、美しいものへの、水先案内人として、画家が
存在するということは、とても、素晴らしいことと思います


そして、ドイツ・オーストリアの風景も、京都の美しさも
ぜひ、自分の目で、その世界をじかに味わってみたいと言う
気持ちにさせてくれます


画家が、美しいものの、水先案内人になる。このことは
実は、安曇野で、山下大五郎という画家が描いた、絵で
美術館に解説があり、覚えた、楽しみかたです


好きだった安曇野の、またそのなかで美しいと思われる風景が
自分の目では、入り口だったのが、そのさきにある、美しさを
感じれる、誘われる、そういう絵との出合いにより
強固になり、はっきりと、美しいものへ、自分の脳のなかに
美しいものとして、インプットされたということが
わかります


なにげなく、みすごしてしまうなかに、「美」をすくいとる


東山魁夷は、京洛四季で、京都が一番輝いていた、平安の世を
しのぶものを、画家である自分は、感じることができると
いいます


その東山魁夷の、導かれ、美をもっと感じたくなっています