マティスは、どんなところが、素晴らしいのか
「色彩」ですね、という答えがでてきそうです
そして、その色彩は、人を楽しませ、人をマティスの世界に
ゆったりと、誘う、心地よさがある。人はその心地よさを
感じて、色彩に身をゆだねるといっていいのではないでしょうか
南仏の明るい光、その光がたっぷりはいる、窓と
原色のドレスの女性。こういった、対象物がとてもまぶしく
まさに、心地よく、こんな部屋があったら、なんてうれしい
こんな部屋に招かれて、絵の話なんてできたら、至福の時間に
なるにちがいないと、想像する、そんな絵ですね
こうした絵が好きになり、マティスの「人をもてなす」といった
そういう気持ちの表れといっていい、絵にふれて
マティスは好きなアーティストになりました
窓にドレスの女性といった、まぶしい対象といっていい
絵に至る、その道筋がわかるなという、展覧会が今、東京都美術館にて
開催されています。ポンピドゥセンターのコレクションをもって
マティスの回顧展です
図録の表紙を飾る、「座るバラ色の裸婦」
解説から「何度となく修正や再構成が繰り返された
結果、消去や単純化といった操作の痕跡をあらわに
とどめており、最終的には徹底した幾何学形態となった」
こんなふうな、解説のみを読むと、ああ、抽象画に近いのね
と思われるかもしれません。いいえ、みてみればそうでないと
思うのではと感じますが、この絵は具象の絵なのですが、
修正や再構成をくりかえした・・・
絵を描く過程が、やや抽象画にみられるような、要素を含みながら
実際、見れば、裸婦だとわかるし、そして、なんとも
美しい。
おそらくは、こうした、修正や再構成は、マティスのなかでは
普通なのでしょう。でも、抽象の方向に一定以上は
いかない。
窓と、ドレスの女性。こうした対象を描いた、マティスの絵が
すごく好きです。今回の展示には、その構成の作品は多くない
だけど、その対象を描いた、マティスがたどってる
その美を生み出していく、マティスの変化、マティスの思い
というのが、でてる、展示ではないでしょうか
「コレット」木炭による、スケッチ
この表情がすごくいいのです
こうした、一瞬の表情をとらえることができる
そうしたことも、おそらくはドレスの女性を描くものと
共通のものがあるのではと、想像します
「夢」
解説から「モデルがどのようなポーズを取るかを
決めるのは画家ではなく、自分はただ、奴隷のように
従うだけなのだ、とまで言っている。本作のリディア
・デレクトルスカヤはくつろいだ休息の体制にあるが
これはマティスの目に、真に自然で、コントロールされてない
がゆえに、最もモデルに適性が姿勢と映った(後略)」
解説の別の文章では、マティスはこのリディアと
一体化といっていい、様子まであったという、記述がある
おそらくは、そういう気持ちあ起きるような、2人の
ハーモニーが、絵の製作であり、生活にもあったのだと
そうだから、ここまで、自然でかつ、自分をさらけだす
美しさが、モデルから発信され、それを、さらにマティスの
なかで、美として、昇華していくということが
あったのだと、想像します
マティスをみてきた、直後に文章を書いたりして、こうして
解説に助けられて、今日のブログにしていますが
どうにも、まとまらないなというのが、正直なところです
実際、自分のこの文章を書くという、やり方では、マティスの良さ
美の感覚というのが、おさまらなくて、もどかしく
なっていくのです。まあ、それだけ、マティスがよかったのだと
思って、筆を置きます