感性の話

感性とは、好きになる能力、であり、好きになる要素を
受け取る能力とも言えそうか、と、思います


感性を磨く、という言い方をします
他の人には、なにがいいのだか、わからないことを
なにかしらの、アンテナといったことを、たてて、感じるように
なるというのが、近いイメージでしょうか


アンテナが立つというのは、携帯電話が、受信してる電波の
強さをアンテナが何本たってるかということを、ときどき
気にする、今の人には、はあ、となりやすい、表現と言えそうです


アンテナが立ってなければ、その情報が入らない
実際、これだけ、携帯、ネットが、インフラとして
普及して、情報が入らないということも、しょっちゅうあること
といっていい。情報が入らなければ、話していても
すれ違います。こうした、不安感がいつもあるのが、今の
人ということが、言えそうです


感性を磨くということ、「アート」の世界で、いろいろ
あたっていくと、感性というのは、アートのためにある、言葉
ではないか、と言いたくなるような、ことに、あたります


美人画、というのが、ここ数年、自分のなかではブームです
ドガ、マネがトリガーをひいてくれたのですが、そのあとは
上村松園鏑木清方美人画に、うっとり、と思っています
上村松園、すぐ思い出すのは「新蛍」ですかね
この上村松園が描く、美人画の表情がどれも同じように見えていた
時期があります。そうだったのですが、ドガの「ピアノの前の
カミーユ夫人」、マネの「フォリーベルジェールのバー」を見ました
さらには、鏑木清方の「新富町」の、都会の女性の憂い顔
というのが、気になってから、上村松園美人画をみると
ありゃ、不思議。表情が迫ってくる感じがしたのです


これは、自分が感性を磨いたことで、楽しめるようになった
例といってもいいかもしれません
いいえ、そんな回りくどいことなくても、すぐ、上村松園
美人画は、すごく楽しんでいたという人はいるのでしょうが
それは、それ。自分の楽しみ方も、それならではの、良さ
というのがあると、自画自賛します


画家が、他の画家のなにかにふれて、自分の世界を豊かに
することがある、と、聞きます。セザンヌの絵は、画家に
とても人気があったなどは、いい例のように、思います
もっとも、まだ、私には、語れるようなセザンヌの良さが見えてきません
だんだん、見えてくると思って、楽しみです


画家が、他の画家から、いいものをもらう。そういうことが
あるのなら、鑑賞者のほうも、いろんな画家の絵をみて
栄養を吸収して、そうなったからこそ、感じる「美」が
あっていいとも、思えてきます


いろんな絵を見るのが好きになりました
今年で言えば、川村記念美術館でみた「カラーフィールド」という
展覧会が、印象的でした。少し抽象画の、世界の楽しさというのを
感じることができたように、思います
そして、そのカラーフィールドにふれてから、たとえば、マティス
色彩をみたら、その鮮やかさ、明るさがより素敵に感じる
そんな広がりが、うれしいのです