アーティストの生き方

2年ほどまえと、記憶します
箱根、ポーラ美術館にて、モネとマティスの競演といったら
いいか、あるエリアでは、モネを、次のエリアではマティス
飾り、人をもてなす、というコンセプトで共通していたと
やった、展覧会が、印象に残っています


この展覧会で、人をもてなす、もてなしたい、という気持ちが
2人の画家にあったということが、まさに、自分も人をもてなす
ということに、興味もあり、やっていて、さらになにかそうした
ことをしたいと思ってるということ。この共通性が、いわば
触媒となって、モネの世界、マティスの世界が、近づいてきた
そんなように思うのです


モネは、パリ郊外に、日本風の池、広い花壇をもった、家を作り
そこで、人をもてなすのが好きだったというエピソードがあります


マティスは、ニースの光あふれる部屋に、自分の気に入った
インテリアを置いて、そこを訪れた人の、眼も心もとりこに
したというエピソードを知っています


たまたま、モネのジベルニーの家は再現されたものとはいえ
パリ旅行したときに、お邪魔してることもあり、自分のインプット
としては、再現するといったことになりました


マティス。どちらかといえば、文学(原田マハの小説)でしか
知らなかったのですが、モネの世界とつなげることで、画家が
どんな世界を求めていたかということが、ふわりと、頭に
うかんだのです


女性を描けば、勝手なものいいをすれば、その例えば、顔の造形の
詳細は略してるように思います。そうでなくて、服の色、その色の
窓からみえる、海だったり、太陽の光線とのコントラストを
楽しんでる。そうした「まぶしさ」に、おそらくは、その部屋に
いた人は、包まれて、マティスのあたたかさに、ふれるという
体験をすることになるのでは、と、想像が膨らみます


人をもてなす、というのは、とても自分にとっても、楽しく大事な
時間といえます。自分の世界にその人にはいってきてもらう
という言い方もできます
絵をみてもらう、そういうことは、その「もてなす」という行為の
ある部分を占める、気持ちの要素と共通だと、考えます
それは、楽器を演奏して、そのなにかを感じてもらうというのも
似てるとも、思います


アートであり、音楽というのは、人になにかを伝えてなんぼ、という
ことで、なりたってるといっていいのですね。絵を描いて、モネが
オランジェリー美術館の入り口に、「この絵、見た人にやすらぎを
与えるだろう」という説明書きを書いています。そうした
見た人の感情を、想像して、絵を描いてるといっていいと思います


そして、「共振」といっていい、見た人に感動をひろげていく
アートは、素晴らしい、と、なり、アートのなかで、スターの
ような存在になっていくといっていいのではないでしょうか


モネ、マティスもおそらくは、世界中でスターとして、扱われる
アーティストと言っていい、その二人の共通点として、人をもてなしたい
という思いがあって、それは、私自身の気持ちととても重なっている
この事実は、アートをもっと楽しみたいという、気持ちを大きく
強くさせるものでした


アートの楽しみ方は、人それぞれであっていい
長澤の場合は、その人の生き方と、どう重なってくるのか
この点がとっても、気になります。そして知れば知るほど
アーティストの生き方って、あこがれに似た、思いで眺めます