生き方

アーティスト、という生き方にあこがれます
自分が表現する、作品に共感する人を作り出す
そういうことの、なんて、高いことか?なんて、厳しいことか
その生き方を、するから、自分と向き合うことになる


人間は、楽になにかしたい、と、思ってしまう、そういう傾向を
もってると思います。できれば、しんどいことはしたくない
面倒なことに、ならないようにしたい
アーティストが絵を描く。ひとつの見方をすれば、こんな面倒な
ことはないのです。どうすれば、絵が自分が描きたいように
かけるのか?考え、試し、描き続ける


奥村土牛の展覧会の図録の解説から、奥村土牛の絵には、余白が
ある、といいます。永遠の未完成。その余白が大事なのだと
余白があるから、見る人が、こうなんだろうと、想像する
余地がでると、いいます
生き方も余白といっていい部分がある。かえって、その余白が
あるからこそ、特に晩年、人が集まり、奥村土牛のまわりに
人の和といっていい、ものがあった・・・


絵、で、生きるという、シンプルさ
その高さ。絵を描くということを、生きることに
してしまうという、すごさ、ともいえるかなと


モネは、ジベルニーという、パリ郊外の場所に、日本風の
庭園、色とりどりに咲く、花園、自分の理想と思える家を
作って、人を招いて、もてなすのが好きだったと、聞きます
自分の世界を、好きなように作って、そのなかで、角度を変え
季節を変え、時間を変え、くりかえし、睡蓮の絵を
描き続けた


なぜ、人は、モネの絵に、惹かれるのか
それは、モネの絵に対する、そうした生き方ということに
惹かれるということ。抽象画への橋渡しになったという、
その絵のコンセプトにも、惹かれるのでしょうか


アーティストは、人の心に届くなにかをしなければ
アーティストではありません
これは、逃れられない、生きることそのものといっていいこと
そうすると、どんな生き方でも、逃れられない、軸といったことが
あって、セールスの世界であれば、売るということ、これが
軸でしょうし、技術の世界であれば、技術で人の役にたつことを
する、でなければ、道をはずれる、ということがありそうです


どう生きればいいか?これも永遠の未完成ということが
ありそうです。いまは本当に、不安定で、不確実で、わけのわからない
ことがたくさん起こる、困った世の中とも言えます
そういうなかで、どう、軸をみつけていくのか
これが、とても難しい。HOWでなくて、WHATをみつけていく
そういうことが、求められてると、感じます


ひとつ、未完成でも現在進行形でいけば、まずはだいじょうぶと
思いたい。そうでなければ、動けなくなりそうですね
現在進行形で、やっぱり、一定の、高さは持ち続ける、それが
大事、とも、言えそうです