奥村土牛

奥村土牛の展覧会を見ます


甲州街道」という作品。烏山あたりと
いいますから、いまは世田谷区でしょうか
街道沿いにあったと思われる茅葺屋根を描いています


およそ、100年まえ、東京のいまは、マンション等で
そんな風景はないところになっていますが、こんな
のどかで、昔の日本が残っていたんだなと、思いました


好きな画家の、山下大五郎は、生まれ育った家が、農家で
おそらくは茅葺屋根だったこともあり、日本各地の
茅葺屋根の民家、そしてその家を取り囲む、木を
描いたことを、図録からみました


川端康成は、昭和30年代、京都から日本家屋が消えていって
町から、山がみえなくなるのを、嘆いたとのこと


日本の(昔の)風景に欠かせないと思う、日本家屋
そして、その家の美しさ。今は絵であり、特別残した
というところにしか、みれないのかもしれません


奥村土牛が、好きになって、醍醐寺を訪ねたり
鳴門に、渦潮を見に行ったりしました


醍醐寺にでかけたときは、その枝垂桜の見事なこと
しばし、時間、その場所にいるのも、忘れてしまうくらい
よかったです。実際のところは、忘れることは
人が多くてできないのですが、土牛さんの世界を思いながら
その美しさにひたれる、うれしさを、思いました


鳴門にいったときは、ほんとに、海にできる、渦潮の
エネルギーに圧倒されました
その渦潮の、迫る迫力、音を思い出しながら、絵をみたら
その絵のもつ、臨場感がひと際、心に迫ってくるという
感覚をもちました
土牛さんが描きたかったのは、こんなすごい、エネルギー
だったんだと、改めて、思いました


山種美術館で、見た絵がよくて、土牛さんが描いた場所に
行きました。そして土牛さんが描いた場所を、みてから
また、絵をみることができました
いいえ、1度くらいそんなことをしたところで、土牛さんの
感性に近づくことは、なかなか、できないかもしれません
でも、ほんのちょっとだけ、土牛さんが描きたかったことに
ふれたのが、うれしいです


土牛さんの自身の言葉として、絵はその形、色だけでなくて
その命、つまり本質を、描くのだという趣旨のことを
いっておられます
それは、生き方そのものともいえる、厳しい、高い言葉ですね


先日、若い人と話していて、「接客」は、人間そのもの
人間性で、勝負するという話をしてる自分がいました
土牛さんの、言いたいところの、命をかけた、絵を描く
ということと、ほんとうのところ、近いはずなのですが
まだまだ、自分が知ってるのは、入り口なんだと、思わせて
くれる、奥村土牛の世界の、美しさ、奥深さ、です