奥村土牛さんの絵を、3月にみました
その父がつけてくれた、という、「土牛」という雅号、寒山詩土牛石田を耕す
からということ、これは、奥村土牛さんの生き方そのものと
いっていいのではないか、と感じたのです
私の仕事について、やっと理解が進んだと思ったら、もう八十の坂を
超えてました
そういうつぶやきがありました
先日、京都の醍醐寺でその桜をみてきたのですが
「醍醐」という作品は10年をかけて、完成したと
読みました
土牛さんは、絵は、うまく描こうではなくて、その美しさを感じる心を
磨いて書くといっています
おそらくは、醍醐の桜についても、土牛さんはじっとみて
その美しさを、心にいれることに、腐心したのではないかと推察します
画家が、美しいものを絵に描いて、その美しさを、一般人に伝えるということが
ありますと、数年前に、北アルプス展望美術館の解説で読みました
そのとおりだと感じます
今回も、奥村土牛の絵によって、醍醐寺の三宝院の桜はほんとうに特別
美しく見えたのです
桜の、花自体、そして枝のひろがり、幹の美しさ
まるで、幻想のなかにいるように、思わせてくれる美しさでした
ちょっと、いれこみすぎの感覚かもしれないですが
土牛さんが、何度も、見ていたと思う桜だから、もっとみていたいという
気持ちにもなりました
絵が好きになることより、その作家の生き方に感動して
あれこれ、思う
これは、アーティストのいろんなことにふれると、やってしまう
くせになっています
作品そのものでいいじゃないか、とも思うのですが
生き方につい、思いが行きます
思い出すと、荻原碌山が家族で仲良くしてる、相馬黒光を人の妻なのに
愛してしまう。明治の世の中、決して、許されない関係
その苦しみを、作品に、アートに昇華したということが、なんとも
心をうつのですね。作品が、またその苦しみを表しているようで
迫力があります
拙い文章で書いてしまうと、自分の生き方を、アートにつなげたという
すごく書きたいことが、とても、そこらじゅうにころがってる
安易な恋愛小説のようになってしまって、いやなのですが
私はそうした、荻原碌山の生き方に、心を動かされたということが
あるんです
このあたりから、アーティストがなぜ、自分の一生をかけて
アートに、表現に、挑戦してるのか、そういう、経緯に
心が向かいます
奥村土牛さんは、絵を描きたいというその一心に、生きたと
見えてきます
自分の納得するまで、デッサンを重ねる。まず「見ることです」と
言い切ってる
基本をどれだけ、忠実にやるのか
これは、やっぱり、生き方といっていいでしょうね
生き方にやはり、心打たれる思いがします