千住博は、本のなかで、美しいという概念
「美」とはなにかについて、語ります
美しいというこの「美」の語源は、羊が大きい
ということですと、語ります
つまり、生きる力が大きい、強いということを
言いますとのこと
動物の雄が、雌に求愛行動をするとき、自分の身体が
いかに、素晴らしいか、くじゃくの羽を広げたところが
虫食いなどなく、立派で、子孫繁栄に適しているのだと
アピールするのだと、語ります
美とは、生き方なのではないか?
そんなふうに、感じます
奥村土牛は描きたいと思った、自然だったり、風景といったことを
10年いいえ、もっとかけて、みて、描きます
おそらくは、一度こうがいいと思った描いたものについて
なっとくするまで、描き直し、その色、形、線といったことを
検討しつづけるのでしょう。その描き続けてる、見続けてる
それが、奥村土牛の生きてる証なのだと、感じます
鳴門、醍醐、吉野
この3つについては、そのまま、描いたであろう場所にも
足を運んでみました。そうしてみると、それぞれの場所が
輝いてみえるといっていい、奥村土牛が愛でて、見続けた場所なのだ
ということが、意識され、それを自分もみて、美しいと思えてることが
うれしいのです。
小林古径は、奥村土牛は終生、師として、尊敬し、同じ時間
空間を共有して、描いたり、おそらくは、評価をもらったり
他の画家の情報ももらって、啓示ともいえる、影響のヒントに
なったりと、大きな存在だったことを、想像します
奥村土牛が好きで、その生き方を感じたと、自分は思い込んでいます
その奥村土牛の、生き方も導いた、小林古径がその存在を
示してくれました。新潟、高田の地でそのアトリエ、自宅を拝見し
その生き方が、迫ってきました
「美」は生き方であると、言えるとしたら、この小林古径、奥村土牛
という師弟がみせてくれる、世界は、生き方からして、輝いていると
感じるし、美を求めるということは、こういう生き方をしたらいいと
示してくれてると、言っていいのではないでしょうか?
今、山種美術館では、小林古径と、速水御舟の展覧会が開かれています
お互いにリスペクトがあった、そのそれぞれの、「姿勢」といった
ことに、リスペクトしたという、二人。ここにも生き方を
感じるといったら、生き方の安売りでしょうか?
絵の、色が、線が、また例えば、まだ絵具が乾かないうちに色を
重ねるといった、手法が、いかに素晴らしいか、文字で表現する
というのは、難しいです。
ただ、今回、同じ主題、たとえば、牡丹、を、一方は、速水御舟が
その墨の濃淡の巧みさといったことで、だしていて、小林古径は
線について、くっきり表現してその2枚を対比させて、みさせる
というとき、その墨のぼかし、線、そのものは、やっぱり
いきいきと、迫ってくるものがありました
絵を描くということ。美を表現するということ
高い、心があって、それを続けるということ、素晴らしい生き方
に、見えてきました