人間の魅力

ひとりの人と会って、その人の魅力にとってもいいな
ということがあって、また、会いたいと思う
このことは、ビジネスももちろん、生きるということに
おいて、すごく大事なことです


そういう、相手が自分に思ってくれたら、とてもいいし
そうなるように、努力したいと思いました
一方、やっぱり「たまに会うからいい」くらいのレベルなら
なれる、自信はあるのですが、くりかし、頻繁に会いたい対象に
自分がなるというのは、結構レベルが高い話です
ですが、ビジネスだったりすると、お互い「ふりをする」のでも
頻繁に会いたいということにしないと、うまくいかないことは
あります


つい「ふりをする」などと、だしてしまいました
基本、というか、「こうありたい」といった姿でいえば、双方に
尊敬する態度があるといっていいと思います


今年、わが社のwebサイトの新年のあいさつに「尊敬」からはじまる
関係こそ素晴らしいと書きました。とても大事だし、そういう
態度をもてて、ひとりの人と、おつきあいができれば、素晴らしい
それはそうなのですが、はたして、自分がだれかにとって
尊敬の対象になるのか?
今は、そうでなくても、ちょっとずつ、そういう存在に近づけるのか
そんなふうに思うと、なかなか、難しいかなとも、思います


ですが、あきらめるのは、早いかもしれません
どんな努力が有効かというのも、かなり、レベルの高い話なのですが
探し続けたいと思います
人間として、高いなにかを、求めていくということに、一致するのだと
思います


ごく最近、この1か月くらいで、気づいたこと
美術館にいって、あるアーティストの生き方というのに、あこがれ、といった
気持ちをもつことがあります
それは、たとえば、絵であり、彫刻だったりそうした作品を作って
他人に、感動を与えるという、シンプルでたいへん高い行為に
その人生をささげた人というのを、見るわけですね
生き方が、すごいわけです
モネが、睡蓮の池の光をとらえようと、来る日も来る日も絵を描いたとか
奥村土牛は、桜を何年も描き続ける
東山魁夷は、川端康成の期待に応えようと、京都の美しさを描く


こうした、例えば、50年いいえ、きっと100年、もっとたっても
輝き続ける仕事をした、アーティスト。それは生きるということを
そのまま、アートにささげてるすばらしさ


じゃあ、自分は?と思ったときに例えば、絵、例えば、文芸といった
世界で、自分を表現していくなんて、とてもとても無理なんて
思うのです


人間として、高いなにかを求めて生きる
ですが、おそらくは、自己実現といったことを、やる、やりとげるということは
同値といっていい、ことなのだと、おぼろげには感じます


そして、それは自分がやろうと決めた、社員の育成、指導という意味では
さけては通れない、自分に向き合うなかで、そこに近づく道なのだと
思うのです