アーティストの生き方

アートに触れるということが、習慣になっていない
そう、アートにさほど、関心を持てないという人と
話して、どうして、アートに惹かれるのか
話してみました


アーティストの生き方です、と話してみました
奥村土牛が、10年をかけたという、「醍醐」
たった、一枚の絵を描くために10年をかけるという
その情熱、に、自分も生き方、その姿勢で近づきたい
そんなふうに、思って、絵を見ますと言いました
これは、アートを楽しむという意味では、なんというか
純粋にアートを楽しむところから、はずれてる、と
みえることでもあります


ただ、単純に、「美」を表現するということに
人生をかけた、そのもの、に、なんらか心が
動くといっていいでしょうか?


シンプルゆえに、難しいとも言えます
あなたは、絵を描くことに、すべてのエネルギーを
注いでいくってできますか?


これはいろんな仕事も、いえるかもしれないです
私は、かなりラッキーなことに、自分で経営する会社が
あって、その発展に自分のエネルギーを注いでいます
ただ、そう言いながら、もちろんうそはない、だけど
その1点に、ずっと集中していられるか?
いいえ、そんなには、できません


はい、こう書いていて、10年間、同じ絵を描いた
奥村土牛さんにしても、10年の日々、ときには
休み、時には別の絵を描き、また別の作家の絵を
見たりしながら、描き続けたのではないかと思います


私の仕事。人材育成にこだわる、と、言い続けています
その点に、ずっと自分のエネルギーをかけていっています
そう、たとえば、明日から泊りがけの社員研修があります
この通常の業務を離れての、研修のあれこれについて
ノウハウをためてきた、そういう自負といったらいいか
いろいろはあります


アートに触れたりしないと、話していた、相手は、具象の
絵をみて、確かにすごいな、と思いますと言いました
またそのあと、これ、これだけ、表現してるもの、確かに
すごいのだけど、写真でもいいかなと、思ったりしますと
話してくれました


おそらくは、写真というものの、登場が、アーティストを
抽象画に、ひっぱっていってるということもありそうです
アーティストが描く、絵。写真とどう存在意義が変わるのか
これは、アーティストだからこそ、悩むことのようにも
思います


2年ほどまえだったか、猪熊弦一郎の展覧会でした
壮年といっていい、歳になった、猪熊弦一郎、ニューヨークに
行って、異文化に触れたこと?とかがきっかけで
自分のなかの、具象のいろいろが、ごっそり、ぬけたという
言い方で、抽象画にむかっていった自分というのを、語っています


具象画がいいとか、抽象画がすごいとか、どっちが、とかは
ここで書くのは、難しいし、別にゆずります


美を表現するということ、アーティストが、挑戦してること
これに、あこがれ、そこから、「負けないぞ」と自分を
自分で鼓舞する、そういう気持ちです