今の世の中のあれこれ

スマホを捨てたい子どもたち」 山極寿一
から引用 p.111


熱帯雨林からサバンナへ出てきたとき、人間が直面したのは食糧不足です
サバンナでは、食物が分散してるので、チームを組んであるいは個人で遠くまで
足を延ばして食料を集め、安全な場所にもってきてみんなで食べることが
必要になりました。


山極先生の分析は、二足歩行で、サバンナにでたことが、人間の家族を
作り、その信頼という社会力を持って行った、原点だということに
なります


ここを、ひとつの出発点として、人間として、いっしょにものを
食べて、いっしょに、信頼関係を作ってみるということを
認識のポイントにしようと、考えました


今は「社会力」が落ちてきている、と感じます
それは、コロナだから、といったことではなく、少子化であり
都市化、地域社会の疲弊といったことが、重なってると
言っていいと思います
少子化ということと、根は似てるかなというところで
一定のところ、人々の生活水準があがってるということも
ありそうです


生活水準があがった。お金で済ませることができる
ことなら、なにか人と人が協力して、どうこうするということを
しないように、してしまう、ということがありそうです
都市化のいろいろは、そのことを、もっと進めたと
言っていいかもしれません


都市化というのは、人と人が、いっしょになにかする
ということを、なくしていくということがありそうです
今、自分もマンションに暮らしていて、同じ建物に
住んでいながら、顔と名前が一致しない人がおおぜいいます
それは、ある面、楽ではあります
お互い、なんとなく、スルーしている
ただ、困ったときになにかを頼むなんてことは、やりにくくなります
ですが、都市に住んでいて、まわりの人に協力を頼むなんてことは
それこそ、大きな災害だったり、自分の体調が自分で維持できない
そんなときに、限られるようにも、思います


今日は都市化などと、書いていますが
親しくなった、新潟のスキー場近くの農家の方は
今は(おそらくこの20年とかは少なくとも)農家でも、集まって
何か仕事するというのは、なくなったと、おっしゃっていました
その農家の奥さんは、60代だったと思います。自分が子供のころは
なにかと、里山に関連する仕事だったり、みんなで、仕事する
ということは、普通にあったということでした


都市化、だけでない、人と人が会わない、会わなくても
生活が回っていくという、現象はあるのだと、わかる言葉でした


社会力が落ちてしまって、なにが起こるのか
やっぱり弱い立場の人のいろいろが気になります
一つには、子供たちだと思います
都市化等々、今、子供たちは学校帰りに寄り道するのも
禁じられるという、話を聞きます
はたして、それはなにを、意味するのか


防犯上といった意味で、寄り道しないでね、は、理由が
あるのは理解はします
だけど、その不自由さは、子供の成長に、いいのでしょうか?


大事なことを、犠牲にしてる、いまのやり方ということが
きになります。もっともっと、いっぱいありそうですね
そうしたことの、反省のなかで、今をもう一度みつめたいなと
思います