冬のあたたかさ

朝、まさに12月1日、今日であれば、ほんの15分まえくらいから
いまがいい。素晴らしいグラデーション。
こうした、季節が見せてくれる、美しさを知ってるというのは
それだけで、ぜいたくな気分でもあり、美しいということについて
もっと、身近に、もっと敏感に生きていたい、さらに、自分が
いいと思う生き方がしたいと、思う時間になって、うれしいですね


枕草子は1000年という時を超えて、季節を愛でて生きる
素晴らしさを、語ってくれます。こうした古典を1000年、愛で続けてきた
日本人に生まれてきてよかったと、思いますし、この文化を伝える
役割が自分たちにはあるのだと、なにかしら、日本の文化に貢献する
ことをしたい、いや、きっとすると誓う自分がいます


明治、大正、昭和、そして平成まで、活躍を続けた、東山魁夷
京洛四季のなかで、平安の世を生きた、才女の描いた随筆のなかの
美しい絵巻となって繰り広げられる情景を、今も見る思いを
もって京都をみている・・・と綴る


枕草子は、日本人の生き方のお手本として、こんなふうに
季節を愛でる生き方をなさい、と、示してくれる教科書となって
ずっと、存在してるのだと、気づきます


冬、という季節について、冬には、冬の温かさということが
あるのだと、あるときから気づきました。いっしょに食事を
とる家族が寄り添い、温かいものをいただく。そうだから
冬はあたたかい。絵本のなかでは、暖炉を囲み、あたたかな
ほほえみをもった、父母が、子供たちを見守る
そうした、あたたかなイメージ。


そして、冬来たりければ春遠からじという言葉があるように
飛躍できる、春に向かって、なにかしら準備する季節といって
いいかもしれません


昨日、新潟の農家で親しくしてる人に連絡をとり、今年のお米を
送ってもらうことにいたしました
顔の見える人が作るお米をいただくことで、いっそう温かさを
感じて、食事ができるのでは?なんて、楽しく思います


都市化だったり、核家族化というのは、便利だったり、いろんな
しがらみを離れて、楽だなどと、思ってしまう自分がいまも
いるのですが、ときどき、地方にでかけて、地方が忘れないでいる
日本人の生き方からくる、あたたかさ、しっかり地に根を張った
生き方にふれると、あれ、都市に住む自分たちは、便利さと
引き換えに大事なものを、忘れる生き方をしてるのでは?と
少し寂しく、少しこわくなるのです


いま、暖炉のあるお家なんて、ほとんどないでしょう
だったら、鍋を囲んだっていいね。なにかしら
あたたかいものをいただき、お互いの元気なことを確かめ
かつての農家のようにはいかないまでも、人間が、お互いの
ぬくもりを、感じれるような、まわりの人との関係、そして
生き方を忘れないようにして、生きたいなと思います


また、そうした生き方をすることで、冬があたたかいことを
思い出し、人って、実は温かい気持ち、思いやりといったことが
自然ともてて、いいものなんだということを、しっかり覚えて
日々感じる、そういうことに、近づけるのだと、信じていたいと
思います