冬に思う

日本の冬を思うと、イメージするのは、浮世絵だ
山郷の家。雪の中に窓からちろちろと火が燃えてるのが見える
家の中には家族が集まるいろりがある、かこんでいるのは野菜の
具だくさんの汁


そんな連想はいかにも、あたたかなイメージなのだけど、実際そうした家は
寒いだろうと想像する。昨年江戸東京博物館に「モームの見た日本」という
展示を見に行った。生物学者でのちに美術の分野で日本に影響を与えたという
フェノロサの来日のきっかけを作ったというモームは、日本人の暮らしぶりに
お置きに興味をもったらしい。家の中の小物、花活け、玩具、調理用具
きもの、暖房器具。あらゆるものを一部だろうが、持ち帰ってる
食べ物でいえば、のりであり、いなごを食べてみて、すばらしいと感想を
言ってる
その暖房器具について、寒さがつらいというのも、訴えてる。火鉢がメインだという


日本の冬の昔の家があたたかそうなのは、おそらくその温度ということでなく
家族のぬくもり、きずなのあたたかさということによるものだろうと
推測する。モームの日記のなかに、子供がどの子も笑顔で、大切にされてるのが
わかるという記述がある。さらにこれは、極端かなと思ったのは
子育て中の女性がかんしゃくを起こしてるのをみたことはないと
言い切ってる


実際、家が寒いと、火のある場所へ集まるのが普通だ。
山歩きを、するようになって、山小屋で休んだことがある。山小屋には
まきのストーブがあることが多い。一度八ヶ岳で、雨で足止めになって
半日近く、山小屋のストーブの横であったまり、話をしたことがあった


あたりまえなのだけど、まきがなくなれば、火は下火になってしまう
つまりまきを一定の間隔で補給する仕事が発生する。そんなことも
想像のそとにあって、いろりはいいなんて言うのは、いかにも浅はかだったと
思う。ただし一方火を絶やさず燃やすのは家の中にはあたたかさが
ずっとあるということでもある。あたたかいというのは
相対的に感じるということもありそうだ


昨日は東京にも雪が降った。
幸いにも積もらずに、交通機関にも影響はでなかったと思う
遊び心をふくらませて、言えば、久しぶりに雪化粧した街を見たかった
思い出すと、おそらく10代のうちは、雪が降ったら、積もったらいいなと
思っていた


新潟をはじめ、スキーなどで雪の多い街にいくとき、あれ、雪このごろ少ないな
と思うことが多い。もっとも今年は雪が多いのかなとも思う。生活してる
人は別の感覚なのでしょうが、ちょっとスキーに行く立場でものを
いえば、雪は多いほうがいい


勝手ながら、休日に東京、横浜でも、雪化粧した街をみていられるような
時間があるといいなと思った、昨日の降雪だった
今朝の空は、冬の朝らしい、空気の澄み具合だった