読書

昨年秋、四国の愛媛県に遊びにいって、正岡子規記念館に
寄ってみた
俳句を文学に高めた人というような、そんな認識は
あったのだけど、地元では正岡子規の人気はやっぱりあるんだろうと
思う。松山空港のなかにあった、カフェは「ノボールカフェ」という
正岡子規が使っていた、野球とかいて、ノボールと呼んだ号に
ちなんでいる
もっとも、観光資源としてという見方もあるかもしれない


正岡子規記念館には、子規の残した言葉であり、生き方が
展示のなかに、少しみえた、愚陀仏庵という名前の、夏目漱石
しばらくくらしたという、家が再現されていた
交遊という意味では、夏目漱石とのということが
大きくクローズアップされていた
全然知らなかったのだけど、夏目漱石が、中学校教師として
松山を選んだのは、なにかの偶然とかいうのではなく
正岡子規がいて、正岡子規の故郷だったからなんだと思った


その正岡子規記念館をみてから、なにかしら、正岡子規
半生がみられるようなものを読みたいと思った
先月、伊集院静香の、ノボさんという小説を
読んだ
もちろん、小説ゆえ、脚色もあると思うけど
伊集院静の思いは、ノボさんの、生き方、その人柄を
伝えたいということに、集約されてる感じがする本だった


ほとんど、伊集院の作品は読んでない。人物描写がうまいなと
思ったのは、「初恋」のコンセプトで、子規が帝国大学
在学中のある夏に、逗留したという、向島の餅屋の娘と
一日デートするときの、相手のさりげない表情、若い女性と
ふたりきりになるときの、子規のどきどき感などが
好ましてくて、よかった


ときどき、自分のまわりにも、みかけるのだけど
やんちゃ坊主をそのまま、大人にしたような子規、
リアルに友達にいたら、心配でたまらないという人に
なるのかもしれない
小説で読む限りは、人が慕い続ける、人懐こさ
面倒見のよさ、文芸へのこだわりが、あったと書かれてる
俳句を、しっかり批評するだけの、目も読書量もないので
俳句はなんとも、いえないのだけど、句会を開いて
集まる人と、楽しむ姿がなんとも、好ましいように見える


人が集まるのが好きで、それで文学も俳句を選んだというのは
伊集院の文章を見る限り、ないのだけど、やっぱり読後に
そういう思うが頭をよぎる
人間が好きで、その交流をこよなく愛した、正岡子規の生きざまが
うれしい。おそらく夭折してるから、いっそういとおしく見えるのだと
思う


人間、どう生きるのか、誰しもが思い悩む
人といい関係を作りたいと、ずっと思う
正岡子規の軌跡が、人からあこがれをもってみられるのは
そうした、思いからすれば、ほんとうに夢のような、おとぎ話のような
生き方にみえるからのように思えた