短歌の世界
小さな発見を、歌にするのだといいます
春過ぎて夏来るらし、白妙の衣干したり
天野香具山
百人一首にある、持統天皇の歌ですね
天の香久山に、衣がほしてあるよということ
春から夏への季節の変化をうたってる
このように、自分らしい発見があるということが
歌のポイントなのだと、覚えました
100分で名著という番組の、百人一首のところで
序詞、じょことばということを、覚えました
あしびきの、やまどりの尾のしだり尾の
ながながし夜をひとりかも寝ん
柿本人麻呂という、とても有名な歌人の歌
ここの「あしびきのやまどりの尾のしだり尾の」が
ながながし、にかかる、序詞だというのですね
ここでの定義は、序詞とは、連想によってある言葉を
ひきだすために、前におかれる言葉ですとしています
ながながし、夜、この長いことを、協調するための
ツールだといいたいのですね
こうした、長く使われてるツールということも
慣れたいなと思います
こういうツールを使うだとか、ルールを気にするということは
不自由だなと思うこともあります。だけどそうした
いわば制限のなかで、楽しむというのが、ひとつの
ゲームとしての面白さにつながるという見方も
できます
松と待つを掛けるといった掛詞というのも
ありますね
高校時代、古典を学ぶということ、古典性というのは
長く残ってる、それだけの意味のあるということだと
教えてもらいました
古くて新しいということですよね
数年前、三六歌仙の展示をみたときに
親ばかの歌というのをみて、なんて新しいというか
現代に通じてると、思ったことを思い出します
大切な仲間が、短歌をやってるという話を聞いて
短歌を知りたいと思いました。
渡部泰明先生の解説によると、短歌は学ぶこと作って学ぶことで
理解が深まるということでした
そこで、自分でも作りながら、誰かの作る短歌を味わいたいと
してみました
学んでいくと、季節を愛でるというのは、もちろん短歌の
ひとつの方向には違いないのですが、その季節にしばられすぎるというのも
ない、自由さというのも、覚えました
短歌を学ぶということで、本歌どりの楽しさというのも
ちょっとだけ、垣間見た気になっています
本歌どり、そうすることで、本歌を作った、歴史上の歌詠みの
気持ちを想像する楽しさというのが、まず浮かんできます
古典を楽しむという態度があるから、本歌どりなどという
楽しみに気づけるということを、今頃になってかもしれないですが
感じています