歴史を楽しみたい

昨日、英雄たちの選択、というNHKの番組で、源実朝
とりあげていました。和歌の人ということは知っていました
この番組では、ときの、朝廷の権力者、後鳥羽上皇
あれこれやる、つまりは、コミュニケーションツールとして
和歌を、自分でそう意識してやっていったという、解説が
でました


鎌倉武士という、武力を基にした集団をまとめていく
そういう立場にたったとき、「権威」として、朝廷を
ある意味利用していく。後鳥羽上皇と和歌という、(そのころの)
武士にはまねできない、ツールを使いこなして、近づく
ということ。これは戦略でしょう


こうした、最近の研究にて、ある歴史上の人物のプロフィールが
がらりと変わるというは、よくあると、聞きます
大河ドラマ真田丸においての、豊臣秀頼は、とても
たくましく、聡明な若者に描かれていました


歴史というのは、だれかが、主観で、描き残したものを
たどっていくということがあります
また、その読み解いてる段階、今、この令和という時代に
おいてなら、その時代の状況なりが、こう読んだほうがいいと
解釈がつくということもあるでしょう
よくあるのは、ある政権なりを倒した、勢力、つまりは勝ち組に
都合のいいように、歴史が描かれてるということが
あるといいます


そうしたなか、いろいろ検証してみると、この解釈は
ずいぶん、勝手、一方的なものだと、見えてくるということも
あるのでしょう


歴史は好きですが、古文をそのまま読み解くのが、できません
あたりまえですが、原文に接してこそとか、思うのですが
これはちょっと、敷居が高い、ですが、いつか挑戦しましょう


4年ほどまえ、三十六歌仙、佐竹本の展示があり、和歌に
ふれてみました。今、その本分を思い出すことはできないですが
子を思うゆえに、親ばかだとか、些事にかかわって、なんて
人間はおろかなことかとか、まさに「現代」に通じる
「古典性」といったことが、ちょっとだけ、感じました


これもだいぶまえですが、「百人一首」を、ずっと大切に
できている、日本というのはなんて、素晴らしいことか
という、記述を新聞で読みました


和歌、というのも、とても、気になる存在です
もっとも、どう取り組んだら?いいかというのが、いまだ
見えず、やれやれ、ということもあります


こうして、ブログなんて書いていると「書く」ということの
面白さは、少し、身についたといった、自負があります
そこから、一歩いいえ、何段階も上がらないと、和歌を
楽しむという、ところには、いけないのかもしれない・・・