和歌の話

和歌を習ってみたいと思ってから、しばらく経ちます
習ってみたい、という気持ちを、分解すると
「仲間がほしい」「先生がほしい」「いろんな世界を知りたい」
などがでてきます


和歌を楽しんでる人のいくつかを、思い出すと
和歌をひとつの、触媒として、自然を愛でる、人の気持ちを思い
つまりは、いい時間を過ごしているという、感じがします


いい時間を過ごすという意味と、文字で表現するという
ことでは、このブログも共通したものがあるといっていいです
ただ、アプローチがちがうといったらいいか、楽しみの方向は共通な
ものがあるのですが、ちがった進め方、楽しみ方だろうと思うのです


8年ほどまえだったと思います
京都国立博物館にて、三十六歌仙の展示がありました
そのいくつかの、和歌の新しさといったらいいでしょうか
古典性といわれる、今とりだして、味わってみても、古さを
感じさせない良さ、というものを、感じることができました
すごいともいえると思います


月をみて、その優雅な姿にあこがれたり、親ばかと呼ばれる行為を
ついついしてる、自分を恥じているなど、楽しめたのです
(元のうたを一言一句思い出せない)


もっとまえだったか、新聞のコラムに、百人一首を、残してる、こうした
文化があるということが、日本文化のすばらしさを、物語ってるといった
ものいいが、ありました


日本人なら、日本語を大切にしたい、と、漠然と思います
だけど、自分がそのためになにか行動してるのかというと、ほぼ継続してなにか
ということは、ない、とも言えます


和歌を習うということが、日本語を見つめたり、和歌がほんとうに
触媒となって、自然だったり人の心をうたうことができるとしたら
日本語を大事にしてる、といっていいと思います


「さらす」ということに、思い至ります
つまり、自分の気持ちをさらしていく、自分自身をさらすという楽しみ
おそらくは、仲間のなかで、ということが、ほしいところといっていいと
思うのですが、そうしたことができたら、うれしいだろうし、相互に
できる仲間がいたら、さらにうれしいのだろうと、想像します


今日の朝の空は、雲ひとつない、空を起きてから見ることができました
自然がくれた、プレゼントといっていい、美しさです
この美しさ、とても言葉では、表せないなと思いながらそれでも
ちょっとだけ、挑戦はしてみたいなと思うのです


冬から春に向かう、おそらくは、もうひと風、春の風がふけば
冬のいろいろは、どこかに飛んでいくのではと思う、3月の後半
今日は、今日の朝は、空は、まだ冬のなかだぞと思わせるなにかが残ってる
そんなふうに思い、手が冷たいと思いながら、歩きました


和歌、であれば、どんな表現をするのだろうと想像して
今日は筆を置きます