責任感

先週のわが社の管理職会議にて、いかに責任感をもって
仕事をしてもらうか?
そもそも、責任感をもつってこと、教えられるのか?
という話題で、しばし話し合った


若い人に、成功体験をふやしていって、自分のできることをふやしつつ
自分で自分の課題をみつけられるようにする。こうしたことが
わが社がやっている、人材の育て方の第一だと思う
こうしたことから、自分の課題をみつけるということを続けていくことで
責任感であり、さらには、技術者として誇りをもつように
なるのではないか、と想像する


しかしながら、人間って多様だし、感じ方ももちろんちがうと思う
成功体験を、重ねながらと書いたけど、成功体験に果たしてなるのか
といったことから、まずずれが起こりそうである


うつわ作りの窯元さんに、お邪魔して、手作りのもの、自分の手で作るものを
一心に気持ちをこめて、作ってる人っていい。その気持ちが
伝わってくるように思う
愛知県のある窯元では、たとえば、マグカップだとか、ピッチャーの類に
よくある、ハンドルについて、その作り方、器本体へのつけかたについて
実践で、身体を動かしながら解説してくれた、作家がいた
そうした、自分のものづくりへの思いは、おそらく何年も何十年も
思い続けた、厚みというのがあって、ぶれない、骨太な生き方そのものに
なってるような感じがした


仕事をするってことは、ぶれない軸をもつことといっても、いいと感じることがある
成功体験を持っていても、それを信じて続けるだけの精神力がなければ
おそらく、続いていかないし。その精神力はどこで養うのかといえば
やはり、自分でちょっとずつでも、なにかしら、「続けられる」といったら
いいか、トレーニングを重ねることしかないのかもしれない


ときどき、テニスのコーチの指導が、ヒントになることがある
つまり、難しい対応をするまえに、基本をやろうということを
くりかえしてる
テニスのボレーでいえば、最初からちょうどよく、回転のかかった
いいボールをうつのでなく、フラットに、ラケットのまんなかをはずさない
ということをやって、徐々に回転をかけるなり、スピードをつけるなり
していく


軸をもって、基本を忘れずに
確かに、基本動作といっていい、毎日やることは、そうしたことを
忘れないということが、大事のように思う


毎日やること、その難しさ、その重み
仕事って、毎日やらないくてはならないと思う
続けていくということ。
その軸となるべき、自分の気持ちを高めるということを、どうしていくのか
信じる、信じるに足る、なにかをどうやってみつけるのか
まさに、永遠のテーマではあるのだけど
できれば、私の本分として、そうした若い人を押し上げる立場で
なにかしたいということを、続けていたい