打ち合わせをいいものに

昨年、ひとりの社員と打ち合わせをしていて
ああ、こういう打ち合わせをするということが大事だと
感じた


あたりまえもあたりまえなのだけど、打ち合わせをすることで
なにかに道筋をつけるとか、やり方を合意できるとか、いい提案を
聴けるとか、打ち合わせした、成果がみえるということが
大事だと思う


そういうことを、思うと、「小さいこと」「微妙なこと」
「ニュアンスの確認」といったことも成果として認識することって
いいことだと、思い当たる


「重箱のすみをつつくように、ほめる」という表現は
なんどか、気に入って使っている
ちょっとしたことにも、喜んでいられるというのはいい
お正月休みに読んでいた、「ノボさん」by 伊集院静に描かれる
正岡子規は、人との交流をほんとに楽しんだ人だと、印象に残った
おそらく、「天性のもの」といっていい、明るさ、人間が好きという
ことが、書かれてる。こうしたことは、まねしたい
つまり、天性の「人間が好き」はあるかないか、さておいて
ノボさんが、生きたことを、少しまねして、人間が好きというように
生きてみたい


フォークソングとかの思い出は、たくさんあるのだけど
さだまさしが、デビューした、グレープという二人組が歌う
精霊流し」という歌が、相当ヒットしたことがある
あるコラムにて、作詞作曲した、さだは言う
自分がまだ小学生のころ、大好きだった、おばあちゃんが亡くなり
人間が死ぬということ、このことがいかに大きいことか
知った気がする。またそうだから、死ぬということがあるから
いまを生きることの大切さも、知れたと語った(少しちがうかもしれない)


田辺聖子は、自分の半生を語る小説のなかで、脇役の
キャラクターに言わせる
「身内が死ぬということは、ほんとうに、つらい、むごい経験に
ちがいない。しかしながら、そういう経験から、自分自身はさらに
生きていくのだ。できることは、死んでいった人のことを思うなら
自分が、悔いのないように、精一杯生きることしかない
それが唯一、死んでいった人への供養にもなり、自分自身の
ためにもなる。身内の死は、そうしたことを知る、貴重な機会だ」


ああ、と思う
私も何人か、大切な人を送るということが起こった
そうしたとき、上記の思いを思い出し
ここで、自分がしっかりしないでどうすると、自分を叱咤した
人間は迷う、いわば、困った存在だ
だけど、学習することはできるものと思いたい
学習は、なにも知識をつけるとか、「脳」の部分の学習のみならず
心の学習もできると思う
つまり、力強くいきるためのレッスン。


打ち合わせという切り口から、今日のブログは
大上段な、生き方の話につながってしまった
いいえ、ささいなことにも、楽しみ、喜びをということは
まさに、生きる姿勢そのものなのだけど
勝手に話をふりまわした感はいなめない


打ち合わせで、元気になる
そんなことを、繰り返すような日々がいい