和歌の世界

和歌ということが、気になりだして
時間がたちました


3年前くらいに、テレビでみたことがあります
それは、鎌倉の町を歩いて、そのところどころで
一句ずつ、読むといった趣旨の番組で、先生役の
人もいるなか、タレントと、大学生が、やるという
流れでした


ひとつのシーンが印象的でした
ひとりで、一句、でなく、3人で
上の句から、作っていくという場面があり
しろうとには、難易度がとても高いように
見えました
ところが、大学生(和歌のクラブのようです)が
見事に、3人で一句を作ったのですね
確か


「家族とは 静かなる縁 晦日蕎麦」
という句でした
うーんとうなった自分がいたのです


短歌、俳句ともに、短い言葉のなかで
季節を歌い、人の気持ちの機微をとらえる
とても、いいものだと、思っています


短いゆえに、「切り取ってる」という
ことがあるのでしょう
その短さ、一瞬のことをうたう、潔さ
といったことが、いいのです


言葉というのは、不完全だと思います
いいえ、言葉を使う、人が使いきれないといってもいい
だけど、この言葉という道具を使わなければ、やっぱり
気持ちを表現するなんてことは、とても難しいものです


そして、解釈ということがあるから、つまり、受け取る側に
その受け取り方のニュアンスを、任せられるということが
あるから、また味わいがでるということも、ありそうです


言葉というやっかいといってもいい、道具でやりとりを
しなければならない、私たちは、どうするのがいいのか?
経験的に知ってるのは、言葉だけ、ではなくて、声の調子だったり
表情、しぐさ、さらに、可能なら、着ている服にしても
その伝えるのに使う場所にしても、すべてをそろえて
相手に贈るということが、大事といっても
いいかもしれません


感染症があって、しばらくできないのですが、当社では
新入社員がはいると、その歓迎の意味をこめて、私の自宅で
食事会をやります
これは私が、言葉だけで、なにかを伝えるより
私の自宅で、私の存在を感じてもらい、胃袋でも、歓迎してる
ということを、うけとってもらおうという、趣旨です
ここ、数年でやっていたのは、食事も自分たちで作ってもらおう
ということで、簡単ですが、おにぎりを作り、いっしょに
食べていました


さて、「言葉だけ」では、なかなか人に伝えるのって難しい
と書きましたが、でも、多くのところ、言葉も使わなければ
やっぱり、そこは、もっと難しいといっていいでしょう
だから、言葉を使うということに、もっと学んで、いきたいと
思っています
そして、和歌の世界は、そうした要素があると見えます
少しずつでいい、和歌の世界を知って、学びたくなっています