昨日、メールでやりとりしていて
意味のとりちがい
しょっちゅうなんですよね
それも、しばらくぶりの連絡ではなく
毎日のように、会ってる間柄で起こる
とり違い
確かに、まだ自分が文章というものの、扱いが下手だということも
言えるでしょう
それでも、メールなんかでやったら、伝わらないこと、おびただしい
でも、人間、言葉がないとしたら
やっぱり、考えることもできないんですよね
言葉があって、考えるということが、成立します
そして、言葉って、背景を理解しないと
やっぱり伝わりません
伝える、伝わることは、価値といっていいと
思うのですが、その素晴らしい機会をなんて
多くの人が、見逃し、また見過ごしていることでしょうか
たとえば、なにかいいこと
いいものを、みたり、知ったり、ときには
いっしょになにか体験したり
そういうことを、親しい人に伝えるって
ものすごく、大事ないいことではないですか
自分が感じた、いわば、感動を分かち合える、
そういうことは、やっぱり、生きる力が強い
生きようとしてる人がもつ、素晴らしい、自分で自分を
もちあげていく、行為ですよ
信州にいって、山の美しさを、感じたとしますね
その感じたことを、はがきに託して、親しい人に
伝えるのです
手書きがいいですね
ちっとも、字はうまくないのですが、印象の
ひとつには、なりますね
いっしょに行動して、同じものをみて
話すというのも、もちろん、素敵な、生きる力を
高める、ひとつでしょう
だいたい、同じ感動をわかちあえるということが
親しいということの、定義としても、私はいいと
思ってるんですね
だから、もっと言葉について、深く勉強というか
感覚をとぎすまして、ときには、誰かが、なにかを
感じることができる、そんなお手伝いもしたい
そういうふうに、考えるように、なってきました
伝わって、共有できたときの、うれしさは
ひとしおのものがありますね
今日もそんな時間がもてたら、うれしいです