ワーク・ショップ

だいぶまえ、新聞にワークショップを解説してる文章を
見ました
ワーク:考える
ショップ:お店の人となって、いっしょに知恵をしぼる


ワーク、まず、テーマがあって、そのことを自分で考える
そのことを、ショップ、お店で伝えて、専門店のスタッフと
(相手はそういう役割をする)どう深めるとか、知恵をしぼるのだ
という解説でした


言葉を、言い換えるなかで、やり方を言うという、すっと
はいりやすい、説明です。もっとも自己流の説明で
ワーク・ショップのもともとの語源といったことからは
ずれてるところもあるようですが。


でもイメージとして、うけとるとき、いいのです
そして、さらにということで、私のポイントをあげると
すれば、やっぱり考えたことを、伝える、その伝え方に
あると思っています


ここで、「さらす」ことができるのか?自分が考えたまま
もっといえば、自分という存在をさらして、考えて、いいでしょ
という自画自賛もいい、そして、足らないといったことも
「さらす」のです


さらす、ことができるから、相手がなにか、価値として
だしてくれる情報だったり、知恵といったことが、よりはっきり
見えるのです。いいと思ったら受け取りましょう
さらす、から、自分のいまの、様子を「自己認知」できると
いっていいのではないでしょうか?


別のスポットをあてれば、ここで、ありのままをさらす、ことが
できないと、自分自身のいまの、状態。考えてること、自分自身の
意思はどうなのか?そういうことが、ぼやけます
ぼやけますから、その点になにか付加して、いいことを
誰かが言ったり、受け取ればいいなにか、成果になっていくことが
やっぱり、ぼやけるのです


悪いほうへいけば、さらす、ありのままでなく、いわば粉飾したものを
だしてしまえば、そこがスタンダートのように扱われて
苦しくなる、そういうことです


人と、人。こうして、容易に会えないというときに、とても、感じること
それは「会って、やりとりをして、学ぶ」そういうことが大きいという
ことです。何度も会って、パイプができた状態なら、電話とかメール
とかそういうことで、しばらくは会わなくても、一定の
やりとりはできる、かもしれません
ですが、やっぱりそれこそ、「成長」したなら、成長した自分そのものを
見せる、さらす、ということが大事です。そうなると
リアルに会う、これに勝る、やり方って、ちょっとないでしょう


会って、学んで、化学変化といったことを、繰り返すから
パイプは強固になり、その強固となったことから
さらに、響く、人間関係をつむいだり、チャレンジというときに
支えあったり、していく。それが健全な、チームのいい姿、あるべき姿と
感じます


昨日、ごく最近知り合った人と、ワーク・ショップのやり方
といったことを、少し意見交換する機会がありました
感覚的には、別の山道を登ってきた人と、峠で出会った
そんな感覚で、ワーク・ショップに近いことをすることで
いいことあるね、と、確認することができました


学びを、いいものにしたい
それが、会社経営をしていて、ずっと思ってることです
そして、いい協力者に出会えたかなと、思えた、ときになりました