信州の景色を愛でる

信州で山を眺めるのが、好きです
そうと気づいて、15年はたったでしょうか
山を眺めるのには、その山と向かい合わせの山や、高台に上って
みるというのが、一番いいのです


山って、高いのですから、高いところにいくとよく見える
そういうことですね
いい例が、箱根から眺める、富士山がそうですね


信州で、安曇野と呼ばれる、扇状地が広がる土地が
あります
その広々とした風景を眺めるのが、すごく好きになりました
北アルプスをみることができます
もっとも、槍、穂高は、常念山脈にさえぎられて
見えません


今回、雪形という楽しみを、知りました
鹿島槍ケ岳にでる、鶴と獅子がわかったとき
うれしくなりました
山を眺めるというのも、いろんな楽しみがあるのだと
思いました
北アルプス展望美術館の近くで、たくさんの絵を
残してる、山下大五郎を、同美術館の展示で知ることが
できました


そして、画家の目は、やっぱりその美しさを
すくいとるだけの、いい目なんだろうと感じました
解説に、画家の役割として、その自然であり
ときには人物、といった、対象の美しさを伝えるという
ことがある、と書かれていました。つまり「美」ということに
対してのパイロット役として、画家は存在するということ
のようです


そう感じてから、画家が描いたその場所を訪ねるのが
旅の楽しみにしたらいい、ということに気が付きました
去年はその発想から、奥村土牛の「醍醐」を見て
醍醐寺に行きました
先月は、白毫寺を訪ねてみました。名前を失念しましたが
日本画かがとりあげていた、絵からの発想です


奥村土牛はとても好きな画家のひとりです
その土牛さん、10年以上かけて、この醍醐を
感性させたというのですね
何度も通ってみたということが、あるようです


この春、安曇野を訪ねたとき、天気はあいにく
雨模様の日だったのですが、東山魁夷山雲
思い出して、その煙ったような霧の姿を
楽しんできました


山の風景、もちろんくっきり青空のもと
見えるのは、素晴らしいですが、霧がグラデーションの
役割をして、無限に続くといった感覚をだしてるのも
それはそれで、いい風景といえると思いました
東山魁夷が、わざと、日本の山の美しさとして
霧にけむる、山間をだしてることを、ちょっとだけ
感じたかったのですね


画家が感じたなにかを、自分も感じてみたい
そのことは、とてもいい、自然であり、いろんなものの
見かたといっていいでしょう
美を追い続ける、先駆者を、追いかけるといって
いいと思います