手紙

原田マハの「本日はお日柄もよく」という小説を読んで
気になったことがあり、ちょっと実践しています


それは、タイトルのような、あいさつ、スピーチについて
決まりきった、文句ではじめないということ
はじまり、こそ、ひきつけることが大事ゆえ
決まりきった、文句ではじめると、もう聞くほうは、ありきたりか
という意識になってしまうという指摘です


たとえば、「ただいま、ご紹介にあずかりました○○です」
などなど、そんなこと、紹介した人の言葉を繰り返すだけで
意味があるのか?


なるほど、そうだ、と思って、このブログにしても
なにか、しゃべるときというときも、最初の一言に
ちょっとこだわってみてる、このごろの自分がいます


そうかといって、最初にいきなり、核心の内容のキーワードを
言うのか、といったとき、その文章というか言葉のつながる
話の、性格にもよるのですが、いきなり、核心が、あわない
ということもあるように、思うのです


たとえば、あいさつの手紙。


そう、だから、あいさつの手紙は、季節を感じる、旬を感じることで
はじめるのが、いいのかもしれません


好きな花を描写するのは、自分の気持ちもあがりますし
とてもいいと思います
思い出すと、今年は、京都の醍醐寺で、枝垂桜をみることが
できました。その前触れというか、京都に行くことを決めて
どこをみてまわるか、といったときに、桜の季節だなということで
醍醐寺を選んだのです


ご存じのかたは多いかと思いますが、奥村土牛の醍醐という作品
見事な桜を描いていて、恵比須の山種美術館にて、京都に行くまえに
とっくりと、見る機会がありました


画家が、美しさを教えてくれる。このことは、何度か自分でそうだと
感じることができて、とても、いい時間をもつことができたりしてるのですが
まさに、土牛の醍醐は、醍醐寺の桜の素晴らしさを、私に印象づけて
くれて、その印象をもったまま、京都で実際の桜をみるという
機会を今年作れたのです
そのことは、いまでも、あの桜は素晴らしかったなと、思い出すと
頭のなかが、ふわーっと明るくなっていくような、素敵なイメージを
もつことができます


今年は特に、社員の人と接していて、どうしたら、いい気づきに
つながるのか、と考えたときに、なにか、視覚に訴えることで
そうしたことに、つなげられないかと、試行錯誤しておりました
画家が、自然の美しさを、愛でているように、「ほんもの」の美しさを
感じることができる、そうしたことって、本当に大事なこと
人間にとって、大事なことのように思います


人になにかを、伝えるということは、それ自体すばらしいことと
信じています