アートの話

猪熊弦一郎の絵を見ます
50代で、ニューヨークに活動の拠点を移したと
あります。そのころ、絵は具象から抽象へ移行した
とありました
猪熊の言い方をそのまま言えば、具象がごそっとはげ落ちた
とのこと


猪熊弦一郎は、ほんとうに絵が好きだなと
残された文章を読むと、そう思います
いいえ、画家として、生涯を送り、名を残した人は
おそらくは、絵が好きで、アートを愛してるのです


昨年、岐阜に行き、前田青邨であり、守屋多々志の絵を
見て、その生前の思い出といったことを、書いた家族の
手記を読むと、前田は守屋をたびたびたずね、熱心に
話をした(鎌倉で二人はごく近所に住んでいた)ということが
でてきました


画家はアート、美について、愛していて
おそらくは、あくなき探求を続けていたといって
いいのではないでしょうか


大好きな東山魁夷が、井上靖川端康成と信州を旅した
というのが、記録に残っています。井上は、川端と東山が
ずっと熱心に、「美とはなにか」について語ってると
その思い出の話のなかで、披露しています


今年、猪熊弦一郎が、マティスを訪ねたときの思い出の
話が載ってる本を手にしました。新聞だったり雑誌に
載った、猪熊の話を編集して本にしたのだと思います


マティスは、ずっと年下の、東洋の画家をずいぶん
大切にもてなしたのだと、わかります
そして、同じアートを愛する先輩として、貴重なアドバイス
送ってると見えます


「君は絵がうますぎる」といったとのこと
このことが、猪熊には、痛くささったのだと、わかります


アートを志し、アートで自分の表現をしようとしたら
おそらくは、いくつも壁を越えなければならないと
思います
猪熊は、あこがれるマティスとのやりとりで、そのヒントを
得たのでしょう


ここらの、やりとり、アートでいうところの、詳細は
まだまだ、実際私は見えてきません
ですが、少なくともリスペクトする誰かの言葉が
自分を変える、自己変革のきっかけになっていく
そういう、すばらしさというのは、想像できるつもりです


東山魁夷川端康成でいえば、最初に東山が川端の自宅を
訪ねて、川端が、そのときに池大雅与謝蕪村
十便十宜図をみせたというときから、川端は東山を
大切に扱ったということだと思います
その思いを、東山もうけとって、ずっと親しい交流が
続くということですね


リスペクトが生む、いい関係だと、あこがれます