願成就院

成就院 阿弥陀如来坐像
この運慶が、最初に世に名を知らしめた
デビュー作といっていい、仏像だという


運慶といえば、奈良、東大寺金剛力士像が
教科書にもでてきて、あまりにも有名でしょう
その東大寺の、と比べると、運慶、34歳くらい
まだまだ、若いということがある、またまだ弟子だって
そんなにいなかったはずなので、自らが彫ったということが
想像できると、説明がつきます


若い


いいえ、運慶が若いからではない、おそらく時代ということ
そして運慶が込めたものも、若さがつまってるというのを
想像します


時代が変わる。武士という新しい時代の担い手が
自分たちの力を世に示すのに建てた寺の象徴としての
存在を、運慶という仏師を選んで、作らせた


後世からみてる、私たちが、どう評価するか
というのは、その時代の人からすると、ぜんぜんわからないし
また、おそらくは「勝手なもの」になるのではないか
そんな気がする


永井路子は、自分の書いた小説のあとがきだったか
平安時代、京都政権と、地方の武士の関係は
いわば、植民地の宗主国と、現地との関係と
例をあげて、説明しています。搾取する側と搾取される側


そのいままでのしがらみ、習慣、世の中のあれこれを
ひっくりかえして、時代が変わる


若さ


そういうときにほしい、なにかをこわしていく強さ
エネルギー。


運慶はどれだけ、時代の変化というのを、感じていたのでしょう
それを、数百年たって、みる自分たちは、その感覚を
共有できるのでしょう


アートの作品に近いものとして、みたときの
運慶の仏様は、力強く、じっとみていたい気持ちになりました
台座と、光背を新しく作ったとのこと
何度も火災にあってるお寺。できたときの台座、光背は失われていた
のでしょう


如来像は、さとりをひらいた、仏様が光り輝いてる姿と
聞きます
光背はまさにそうした、光をあらわしてると思います


阿弥陀如来坐像
多くの人が拝む、対象として、運慶はその仏像にどんな
思いをこめたのか、想像するのは、なにかこちらにも
エネルギーがはいってくるような、そんな感じがしてきます


仏像というのは、古さだったり、そのおごそかな感じが
人になにか、ありがたさを伝えてくるというのが、一般的な
感覚かもしれないですが、時代の変わり目、時代の変化ということの
象徴的存在として、阿弥陀如来様、若さ、エネルギーを
感じているのです