理解しあえる、友

学生のときからの、つきあい
「裸の自分をぶつけられる」とそう思える
存在。
たまたま、親族と、しなくてはならないことが
その日にあって、昼は親族、夜は、学生とのきから
家族ぐるみでつきあってる、という仲間といっていい
人にあったのですね


裸の自分、というのが強いとすれば、「感覚」で
しょうか?お互いがどんなことに、反応して
いいと認めるか、そういったことが近いと
思える存在なんですね


仏像という、話題になりました。我が家には、数年前
「運慶ブーム」がきていて、金沢文庫で、伊豆の
成就院で、奈良、でみたのです。という
気持ちを話していました。運慶の仏像では、伊豆
成就院で、若い運慶が作ったと言われる、釈迦如来像が
好きです。いつか、このブログに、父性と母性、あわせもつ
ということがありうるとしたら、こういう顔になるのでは
などと、つぶやいています


ひとりの仲間は、東日本大震災で、赴任地だったという
話から、生きてる人と、それこそ、命からがら、できることを
したという、話。文章にするのは、難しいです
なにかしら、の、ひとつのめぐりあわせがこうだったら
自分はいま、ここにいない。あの、ゆれの家屋の下で
つぶれていたかもしない、という実感をこめて
その経験をした人が語るもの、少し共有しました
数週間、酒の味など、忘れていて、飲んだビールの味など・・・


ひとりの経験、ということを、共有できる
その背景は、お互いを信じてるから、だと思います
信じて、この人だったら、きっと、理解する
という気持ちが働くからだと思います


このように、文章にすると、なんて平凡なこと
書いてるのかと、思ってしまうのですが
この、「この人だったら、理解してくれる」
そう思える、お互いの気持ちが通じるって、実は
全てに通じる、とっても、とっても、大切なことでは
ないでしょうか


経営してる、会社で「なぜ、もっとよくコミュニケーションを
とらないのか?」という、場面にでくわすことがあります
ちょっと、ふみこんで話せば、やらないで済む、
回り道、そして、お互い理解する気持ちがあれば
この一言は、絶対あのとき、言ってる、でも、理解が
不足していたのか、その一言を言えてない・・・


「伝わらない」という感覚が、口を開くのをためらわせ
伝わらないくらいなら、言わないほうがいい、という選択を
するのでしょう


伝わるかもしれない。そのとき伝わらなくても
後で、「感じる」ときがくるかもしれない
そういうふうに「仲間」であれば、行動し、伝えてみる
ということが、ほんとに大事なのに
やろうとしない
やってみようという、気持ちが、弱く、いいえ
ここは、やらないでおこうということに、なってしまう


大事なことは、伝わってる
あ、理解してくれてる、そういうこと
現実としての、そういう経験の絶対数であり
記憶、なのでしょう


そんなふうに、思える
友、との時間を週末に過ごせた
とても、心が、しなやかに、強くなったという
感覚でした