仏様の顔

奈良、東大寺戒壇堂。
とても、いい顔をした、四天王がいます


持国天増長天広目天多聞天


特に、広目天のしぶい、顔に引き寄せられました


國村隼、似てます
まさに、私が映画をとったとして、ここで
相手を見据える表情は、この広目天でいってくれと
いいたくなるような、いま、まさに生きてる人の
ぐいぐい、迫力のある、表情。
これが、千数百年前の塑像だなんて、信じられないと
思います


仏像は、時代がさがると、日本人の顔に近くなるという
話を、ずいぶん前に聞きました。この件、運慶、快慶に
よる、目の表現だなと、思ったことがあります
でも、この広目天をはじめ、四天王の顔
時代が近いことを、言えば、例の阿修羅像
日本人に近いではないですか


彫刻でいえば、佐藤忠良の彫刻がずっと、気になっています
帽子シリーズなど、なんていうか、やっぱり、自然というか
その姿が、自分の生活のなかにでてくるのに、近いのです
佐藤は、著書のなかで、生きてるモデルを前にして、作るものは
ちがいます、と言います


王貞治を、モデルにした、「記録をつくった男」という作品があります
忙しい、王選手、やっぱり、ずっと目の前にいてもらって作る
ということはできない、ぎりぎりの時間をみきって、目の前に
きてもらったという、記述を見ました


絵にしても、彫刻にしても、写実的であることが、必ずしも
価値とはならない、とは思っているのです
でも、でも、佐藤忠良の彫刻であり、冒頭に書いた、戒壇堂の
四天王をみると、リアルだ、迫力だと、そのまま、いることが
存在感につながるような、感じがします
もちろん、写実的なだけではない、ともいえます


まんが、「あずみ」にでてくる、仏師になりたい、青年がいう
セリフがすきです


「自分が作った、仏像が、何十年、何百年とありつづけ、それを
拝んでくれる人になんらか、いいものを感じてもらえる。そんな
仏像を作りたい」


こうした、気持ちは、世の中のちょっとしたことでも、貢献したい
そういうために、自分を鍛えることを、いとわないという
いい、心意気に通じるものがあると思うのです
この、態度は、全ての仕事に通じる、基本姿勢といっていいのでは
ないでしょうか


広目天、だれが、あの表情を感じて、仏像という、いわば、人々の
進行の対象にきざんだのでしょうか
その感性に、気持ちがうごきます。素晴らしい、いっときでした