Yさんへの手紙

大学のとき、同じサークルにて、時間を共有したYさん
今年の春の卒業シーズンに、大学に勤めてるYさんが、卒業生に
向けたはなむけの言葉が、尊敬する、河合隼雄先生の言葉に、似てることから
自分が何度も読み返す、「カウンセリングを語る」という文庫本を
Yさんに紹介し、それを、Yさんが読んで、コメントくれました


こうした、やりとりがなにげなくできてしまう、SNSなるものは
楽しいとも言えますね。SNSのいいところといっていいでしょう
こんなことがあって、もう一度、河合隼雄のカウンセリングを語るを
読んでいると、やっぱり、教えに「はっとします」


【日本人と欧米人】
という言及があります。箱庭療法という、ところの説明で
なかなか面白いのです

以下引用

同本、下巻P.89

~あるとき、アメリカ人が来まして、「おまえは非常に珍しいことを
やってるそうだから、説明してくれ」、「そんなのはお安い御用」
というわけで、箱庭療法のスライドを見せまして、「こうして
治っていくんだ」と説明しようとしましたが、英語で説明しようと
思うと非情に難しいんです。うまく説明できない。
 日本人にはできるんです。日本人にどういうかというと
「こんなふうに・・・」とか「だんだんこうなって・・・」
とか、何かわからないですね。(笑)。考えてみたら
「何となく・・・」ばっかり言ってますね。「何となくこう
なるでしょう」というと、わかる人はわかるわけで「ウン、そうそう」
ということになる。それでみんなわかって、そして「えらいもんですな。
私もやりましょう」とこうなるんですね。
 ところが、外国人にそんなことは言えません。「だんだんこうなって・・・」
というのを英語でどう言っていいかわからんですな。


引用終


実際のところ、自分がやってること、まわりの社員の人なりがやってること
を、思い出すと、上のように、日本人が日本人のままいるのに、欧米で
発達した、プログラムなるもの、ロジカルシンキングなるものを、使った
コンピュータであれこれ、やろうとして、まあ、ちょっとはできたり
うまくいかなかったりしています


どうも、日本人には、ロジカルな、理詰めのこれこれ、よりさらに
一歩なにかの説明がほしいのではないでしょうか
勝手に、河合隼雄の本を自分なりに解釈すると、後からそうした説明
なりもでてくるのです


【もうひとつの眼】


河合隼雄は、嫁姑の問題で来た、年配の女性つまり姑の立場で
嫁姑の問題のことを、悩む人を前にして、「死ぬ準備をしに来た人」
と感じたと、書いています


河合隼雄は別の節でも、書いていますが、実際目の前にあるもの
だったり、相手がしゃべってる内容そのもの、から、一歩というか
次元をひとつ変えて、もうひとつの眼をもつということが大事だと
言います


ここで、また勝手な拡大解釈です。上記のロジカルなこれこれのほかに
もうひとつ説明がいるということ、これを、やれ、やらないと
日本人が使うシステムはよくならないと、思うことがしばしばあります


よくよく、聞く話なのですが、日本人はよくやること。システムでできること
は、一部だと、割り切って、できないことが残るのを、それを人の手の
運用でまかなってるということです
ここにシステムでなにかやろうというのに、困ったものとも見える問題がある
これらは、ひとつには、デジタルコミュニケーションが稚拙なことが
あるでしょう。だけど、それだけではない。日本人だからシステムが
やること以上に求めてくるなにかがある。それに答えるには
やっぱり、ロジカルな考えだけでは、収まらない


【牛にひかれて、善光寺参り】


河合隼雄は、嫁姑の問題できた、その人に、「牛にひかれて善光寺参り」
という言葉があります。お嫁さんはあなたにとって、牛ですと
言ったと、書かれています
この文章を、30代で読んだ自分は、どうも自分の指導がうまく伝わらない社員に
ついて、この人は、自分にとっての牛なんだなどと、思ったものでした


これは、一面、今でも正しいと思えるとも、あります。またもう一面が
やっと最近みえてきたこと。つまり、上記、もうひとつの眼に関わるのですが
ものごとを、俯瞰してみたら、どう見えてくるのかということかな
ということです


牛にひかれて善光寺参り。河合隼雄の本によれば、牛が手ぬぐいを角に
ひっかけて、歩き出す。欲がつっぱったおばあさんは、それを追いかける
そして、追いかけていくうちに、善光寺にお参りをして、宗教的な
体験をするというのこと。俯瞰して、自分のまわりをみたときやっと
50代というのは、ステージのまんなかは若い人にゆずって
その若い人が思い切り働く、輝くといったことを、するお手伝いをする
ポジションが来たと、感じることなんだと、気が付くのです


そうした、ステージを作る、そのうえで、活躍する人をのせる
そうしたことに、自分は十分満足して、やっていけると、今思うのです