研修の意味

自分を、日常にはない、場所であり、やってることからも
離れて、なにかに、取り組んでみる
当社では、研修を重視しています


研修⇒勉強すること、ととらえるとすると
知識を持ってる人が、少ない人へ、なにかするという
ことを発想する人が多いですね
そうすると、勢い、レクチャーをしたり、なにか
伝えてく、一方通行な感じがしてきます


いいえ、おそらくは、企業の研修では、そうではない
ものがいいのだと、私は思っています
少なくとも、一方通行でなく、双方向のやりとりがある
ということ


ワークショップのやりかたというのを、とりいれる
ようにしています。
レクチャー中心、一方通行という、やりかたは
「硬い」「難しい」「不自由」「つめこまれる」
という感じがしますね
もっとも、知識の伝達という意味では、確かに有効とも
いえるのは、認めますが。


そこで、「自由さがある」「自ら考える」「やわらかい」
「柔軟なこと」「責任」といったことを、感じるもの
話し合いで、気づく、自分の内面をさらけだす
さらしてみて、意見をもらって、さらに考える
そういう場面を、いままでも、何度も作ってきました


硬い、なにかに、一方的に知識をつめこむ
実は、知識って、大事でもありますから、本が読めない
そういう人には、欲しい、ことかもしれません
でも、全員が同じ本というわけにもいかないし
本当に、本から知識もらえることが多いなら
なぜ、本を読まないのかっていうこともあって
(もちろん、そのことが難しいから、というのは、一定の
ところ、わかりますが)私としては、やり方に気づく
そして、関心が自立していく、そういうところを
めざしたほうがいいと、感じています


実際、年に2回とか、研修をするなか、研修のメインコンテンツも
もちろん大事なのですが、社員が集まって、同じ場所で話し合い
泊まって、時間を忘れて語る、ということが大事だと
感じていたのです


そのことは、いまも変わらないですね
ただ、メインコンテンツには、もっと工夫がいるなということを
感じています


研修は場所も変えて、新たな気分で臨むからできる
という部分があります
日常にもどってしまうと、せっかく研修でもらった、エネルギー
自分のなかの、気づきを生かせない
そこを、変える必要がありますね
このところ、はじめているのは、日常のなかで、研修の準備をして
研修のあと、フォローアップで、日常の中で活かせる後押しを
してるということ


実際、私も自分で主催したり、最初に勤めた会社でも
いろんな場面で研修ってありました。そして、思い出すと
そういう、「自分をみつめる」機会のような、そんな研修
かなり、覚えているのです


生きるってことを、思うに、スタートは
自分と向き合う、このことにつきるように
思います。自分の原点はなにか、問い続ける
ということが、大事だと、感じます