寛容であること

やわらかな、あたたかい雰囲気があって
相手は、微笑んで、私の話を聞いてくれる


そんなふうな、癒しの空間は、誰にとってもあこがれ・・・
相手してくれるのは、歳を重ねた、寛容の心をもった人・・・


いつか自分が寛容になれるということを、ずっと
思ってきたようにも思います


それは、鎌倉お古寺の静けさのような
つつみこむ、深さに似たもので、そうした境地に
近づくというのは、いい生き方などと
ずいぶん、乱暴に考えていたように、思います


寛容になれる、気持ちは、そこまでなる道筋に
悲しいことや、つらいことを、耐えてきたということが
あるのだろうと、いまになって、感じます


お互い、人間として生きていくというときに
相手の気持ちに添うことができるということが
とっても、大事だし、そうした心を、ふれあうことが
できる人がいるということで、なにかに、耐えたり
なにかを、待ち続けたりできるのかな、と感じるように
なりました


「死をいとい、生をも恐れ、人間のゆれ定まらぬ心を思うのみ」


吉野秀雄


鎌倉、瑞泉寺にて、見ました。
まさにこのとおりで、自分が生きていくということについて
迷ってばかりということが、人間そのものともいっていいかも
しれません


ですが、生きていると、ほんとうに、偶然の偶然かもしれないですが
「生きててよかった」という瞬間があることも、事実でしょう
また、そうした、誰かが生きててよかった、と叫べるような
なにかに、自分が関わる、できれば、そのことを後押ししたり
導いたりできれば、こんなうれしいことは、ない、と思っているのです


だから、可能な限り、寛容な態度で、見守りたいと思います


いま季節は一年のうちで、もっとも寒いときになりました
でも、一番寒いというのは、これからは、あたたかくなる
そういうタイミングでもあります
もうすでに、夜明けは少しずつ早くなり、梅のほころびも
はじまりました


生きるということに、季節を感じてるということを、加えて
楽しみたいですね