色彩

ゴールデンウィーク中に、親しくした方の墓参に
行く機会がありました
自分で花を選んで、供えるという機会もありました


あるときから、墓に供える、花、例えばキクだとか
いかにも、仏花とみえるものでなくて、色彩がゆたかな
もののほうが、気持ちも明るくなっていいと思ったりしていました


別の日に、近しい人が選んだ、墓参の華は
白を基調とした、品のいいものでした
色彩が豊かなものもいいけれでお、品のよさが一番かと
一本とられた、気がいたしました


もう、バラの季節がほぼ、近くなり、おそらくは神代植物公園であり
横浜のイングリッシュガーデンも、たくさんの種類のバラが
咲き競ってるように、想像します
2年ほどまえ、横浜のイングリッシュガーデン、その前の年に
平塚のカナガーデンと、近いところにある、バラ園にお邪魔して
その見事な花を見てきました
人間の目は、色や形に、反応するのですね
あんなに、バリエーションがあると、すごいなと、圧倒される
思いがしました


バラの花を連想する、赤い洋服の美しい人を描いた
板倉鼎という画家の展覧会を、目黒区美術館
みてきました


昭和のはじめ、パリで活躍して、夭折したおしまれる画家
でも、たった3年ほどだったかもしれないですが
描いてる絵は、自分の愛する妻を、輝くように描いていて
その気持ちが伝わってくるように、感じました


夭折したアーティストというと、荻原碌山を、思います
いっとき、碌山の「女」が、脳裏から離れなくなってるとき
碌山が、夭折してしまったのは、あふれでる、芸術への思いが
碌山の身体を、つきやぶってしまったからだなどと
勝手に想像していたのです


でも、何人か、夭折したアーティストを、見たりすると
昭和のはじめくらいまで、そういう人はたくさんいたといっても
いいかもしれません
いいえ、いまでも、いるのかもしれません


夭折したということを、のぞくと、板倉夫妻のパリの
日々は輝き、作品もみとめられはじめ、いってみれば
人生が輝きだした、そういう、一番うれしいといってもいい
ときに、板倉鼎はこの世を去るということになったようです


そのときに、画家本人の心中はいかばかりなものでしょうか
自分として、少しは、満足できた作品を描けたと、そういう気持ちで
しょうか
いいえ、くやしくてもっと描きたくて、苦悩のなかで
死んだのでしょうか


板倉鼎の、色彩は、まるでバラの花をみたときに
心躍るような、鮮明な印象を、残してくれます
須美子夫人の美しいこと、その一瞬をとどめたということも
あるのでしょうね


これから、輝く素晴らしい季節のスタートに
パリで輝いた、アーティストの足跡を、楽しみました