仏様を拝む

奈良、東大寺、法華堂の不空羂索観音


http://www.todaiji.or.jp/contents/guidance/guidance5.html


なんとも、ありがたい、仏様ではないですか?
網のようなものを、まとい、ときに人々を
その網ですくいとるように、救ってくださるという
のです
なんとも、なんとも


今年、4月に奈良にでかけ、朝の東大寺を歩いたとき
じいっと、見入った、観音様です


奈良に行くと、朝、奈良公園を歩くのがいいと思います
司馬遼太郎が、二月堂から大仏殿に向かう道がいいと
案内しています。


街道をゆく」にでてくる、二月堂の前の古い茶屋は
もう、ないですね。いつまであったのでしょう
少なくとも、私の大学のころまではあったのに
残念です。どうみても、江戸時代からはあったと
思う茶屋でした


若草山奈良公園と続く散策できる道が、朝の空気の
なかで、奈良の美しさを、ぐっと、心に刻んでくれる
そんなふうに、思います


ときどき、「無」にしたいと、感じるときがあります
心のあれこれ、頭のあれこれ、身体のあれこれ
すっかり、からっぽにして、それから、もう一度
インプットしなおしたいと、思います


そして、何百年と続いた寺に行き、その静かさ
仏像の顔の、奥深くある、人々が信仰を重ねたから
ある、重みといったことに、なにかしら、ふれたくて
手をあわせるのです


少なくとも、人がたくさんいる、街にいて
がちゃがちゃしてる、自分とは、なにかが変わった
感じがあります


こういうとき、自分のなかに、なにかいいものが
はいったのだと、思う、そういう気持ちが
大事のように、思います


奈良公園をでて、ならまち、と呼ばれる、市街地を
歩くのも、悪くない、やりかたです
元興寺の、境内だったという、その場所には
街中なのに、観音様にふいに、であったりします
また、まだまだある寺には、こじんまりした、お寺なのに
御本尊は国宝だったりは、めずらしくない
そういう、楽しみも、奈良、ならでは、といっていいと
思います


仏像、まだまだ、奥が深い
楽しみは、まだまだ、ひろがります