情けは人のためならず

指導するということは、その指導してる対象のため、
では、ないと思ったほうがいいのですよ
自分、その指導役になった、自分にこそ
素晴らしい面があると、思うこと、なのですよ


真逆の考えもあります
指導するなら、指導する側は、圧倒的に指導する対象の人より
優れて居なくてはならない


学びあうといいます
なにかを、学んでいくときに、学びあうという姿勢が
あるかないかというのは、とっても大きいことです


大学のゼミの先生は、「最低限、暗記」という
指導方針をもっていました
これもすごいことだと思います
暗記してみるというのは、いい、勉強のしかたといっても
いいのですね


あるテーマについて、話し合うということが
腑に落ちるということで、大事ということもあります


しかしながら、いろいろなこと、自分で勉強してる人が
やるから、と前提がやはり、つくのだと思います


古教照心


本を読み、ときには、心を開いて、信頼できる人と、みせあい
批判しあう
これが、あるべき姿といっていいでしょう


教えてみる機会があるというのは、自分自身にとって
ものすごく、いい、素晴らしい学びのタイミングと
思ったほうがいいのです


こうやって、思い出してみると
やっぱり、学生のころというのは、不勉強ながらも
本も読み、いいことを、先生から聞けた
すばらしいひとときだったと、思い返します
そういう、素晴らしいときがあって、いまの自分がある
そして、さらに、高いところへ自分をあげようと思う


継続は力なり
ちょっとやそっとでは、到達できない、そういう
なにかを、つかむために、一日一日努力を、する
そういう、自分でありたい、ですね