緑の季節

今日、ウォーキングをして、大本山総持寺の境内を歩いていると
緑の香りが、体中にはいる、そういう気持ちになりました


すっかり、葉っぱになった、桜、まだちょっと小さい葉っぱの
イチョウ、常緑のくすのき、新しい季節に「さあ、生きるぞ」と
いわんばかりに、葉っぱを拡げています


大きい木のあるところを、歩くというのは、とても気持ちいいものです
フィトンチッドと呼ばれる、分泌物をだすのだと、学んだことを
思い出します


もう10年以上前、那須塩原に宿をとり、社員旅行にでかけたときに
宿のすぐ裏に古刹があり、そのまわりに、確か杉や楢といった
一抱え以上ある、木々を見ました
そのとき、自分のことを、振り返りたいという自分自身の思いも
あったからか、朝の散歩が気持ちよく、その空気を吸うことで
自分自身が客観的になっていくのを、感じました


牛にひかれて善光寺参り 有名なこの一言、ふっと自分自身のことは?と
思いがめぐったのを、思い出します


自分にとっての、牛はなんだろう。
そうだ、入社してくれた、社員なんだと


社員のみんなが、育つということおが、自分が牛をおいかけて
善光寺まで行く道に見えたのです


こう書いてしまうと、ずいぶん大そうなことを、思ったんだと
そんなふうにも思えてきます


でも、木々がだしてくれる、フィトンチッドがどういうわけか
自分の心身を、静かな状態に導いてくれたのか
どんどん、頭が冴えてくる、そんな気持ちになりました


そうだ、だから、まだ社員の人が育ってないと、思っても
それはそれ。まだまだチャンスはあるぞと
社員のみんな、ひとりひとりが、育ちはじめ、会社を盛り上げ
また会社に貢献できたことで、また自分のことも、改善していける
自己効力感というのを、感じて、変わっていける、そんな
ときがくるにちがいない。


そんなふうな想像が、ふわーっと自分のなかに、芽生えたのです


牛にひかれて、善光寺参り
あれから、十数年。空気感はちょっとかわったとこもありますが
社員が育つことが、自分の道、いわば牛そのもの。


そんなふうに感じれることの、うれしさを、ときどき思いながら
日々歩いているのです