遠慮しないは、すごいこと

いい、チームとは?
メンバー、お互い遠慮なしに、いいたいことが
言えることです
そういうふうに、話をします


いい、チームだったら、「きつい」ことも
言い合える。チームの目的達成のためだったら
そういうことを、する、と言います


さて、掲げたのは、いいのですが
とても、難しい面がありますね


遠慮というのは、マナーのひとつのように、
とらえるとすれば、遠慮があるから、円滑に
物事が進むということも、あります


遠慮とは、定義を変える人がいるから
「心配り」という言葉の意味を含める
といったらいいでしょうか?


単純な話、たとえば、電車にのるときに
降りてくる人とぶつかろうが、目の前の人を
おしのけようが、早くのり、まっさきにあいてる
席をとる。こういう人がいて、そのあからさまな「心配り」の
ないことに、目をそむけたくなることって、ありますね


しかしながら、ビジネスで、競争に勝つということは
心配りといっていられない、こともあるのだし
チームとして、どうしても達成すべき、もの。
会社の目標を達成していくということを、思うとき
心配りはしたいですが、遠慮はなしにしたい


実際、心配りと、遠慮しないは、紙一重のところがあるのですよね
話し合いをして、有言実行、なにかをやるためには
遠慮は禁物、お互いの役割を、はみださんまで、やることが
どうしても、必要です、でも必要だから、人格を疑うような
ふるまうぃをそのまま(↑の電車のように)するかは
そりゃ、なかなかしないでしょう


意識として
自分はどういう役割をおっかけているのか
そのことを、忘れないように、したいところです


人間は生きていて、その生き方ということが
あって、それは、「変える」となるとエネルギーが
結構いります
変える、まで、求めるって、はたして?
やったほうがいいこと、そんなにあるのでしょうか?


そんなふうにも、思えてきますが
いいチーム、まるで、チームがお互い刺激しあい
自立して、といっていい、進化をしていく
そういう状態を保てる、そういう理想を作るためには
すごいことだし、難しいですが
遠慮しない、自分、遠慮しない、メンバーが
いることが、必要です